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盗月Blog——島村抱月TextData——


島村抱月・著『近代文藝之研究』のテキスト・データ化ブログ。2014年02月に全文のデータ化終了。只今入力ミス等の校正進行中。

■近代文藝之研究|研究|近代批評の意義(13)

■近代文藝之研究|研究|近代批評の意義 (13)

説明的と評價的、此の二面の交代によつて、近く十九世紀歐羅巴の批評は其の端緒を開いてといつてよい。歐洲の十七八世紀は人も知る如く佛蘭西文藝全盛の時代で各國とも多少其の感化を蒙らぬは無いといふ状勢であつた。而して當年の佛文學は世にいふクラシシズム、即ち...

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■近代文藝之研究|研究|近代批評の意義(12)

■近代文藝之研究|研究|近代批評の意義 (12)

整正を破り典雅明晰を破つてそこに格以外、調以外の激越の音を求めんとした。一つは是れがやがて舊派に對する第一の矢文であつた、挑戰状であつた。舊派の面々も、其の金科玉條とするものを無視せられて、何條默して已まう。忽ち矢聲は場の一隅に擧つた。身方も豫期し...

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■近代文藝之研究|研究|近代批評の意義(11)

■近代文藝之研究|研究|近代批評の意義 (11)

頃は千八百三十年二月廿五日の夜、あらゆる戰鬪準備を整へて鐵の如き決意を合言葉に、テアターフランセースの劇場に新文藝の狼烟を擧げたものは、ヴヰクトル、ユーゴーといふ若い詩人であつた。作は『エルナニ』。夕方から新派に味方するものは後ろや二階の席あたりに...

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■近代文藝之研究|研究|近代批評の意義(10)

■近代文藝之研究|研究|近代批評の意義 (10)

之れに反して評價的批評とは或る既定の尺度基準に照して作品の價値に高下を附するものをいふ。我が舊時の歌俳諧の批評などゝいふものには是れが多い。短歌は必ず二段切れで無くてはならぬといふ規則を設ければ三段切の歌は幾ら面白いと思つても右の規則に合はぬから、...

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■近代文藝之研究|研究|近代批評の意義(9)

■近代文藝之研究|研究|近代批評の意義 (9)

予は此所で此の兩説を是非しやうといふのでは無い。其孰れが是としても、面白い説明である。此等の批評ありしが爲に、ラオコーンといふ一藝術品は幾層倍味ひの源を豐にし得たか測られまい。今日では、此の一團の彫刻像から如上の批評を分け去ることは出來ぬ。此の批評は...

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