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盗月Blog——島村抱月TextData——


島村抱月・著『近代文藝之研究』のテキスト・データ化ブログ。2014年02月に全文のデータ化終了。只今入力ミス等の校正進行中。

■近代文藝之研究|研究|囚はれたる文藝(2)

■近代文藝之研究|研究|囚はれたる文藝 第一(2)

ポムペイの町々に花と咲いたる藝術を、一夜の怒りに、永劫の夢と埋め了んぬる千八百餘年の昔語りは、今も尚ほ此の山の烟と共に長くして、其の同じ烟の、晝は黒く世を愁ひの息にも包まん氣色すれど、夜の眺めはまた更に凄じ。見られよ。渦卷き上る烟の根、今は次第に...

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■近代文藝之研究|研究|囚はれたる文藝(1)

■近代文藝之研究|研究|囚はれたる文藝 第一(1)

    囚はれたる文藝

      第一

去年八月三日の夜は、我れ伊太利ナポリの港に舟がゝりして、感慨の事ども多かりし。中にも分けて老いたる文明のいぢらしさ。文藝の伊太利は死なざれど、さりながら、今の世に亡躯を曝らす哀れさよ。更にアドリアチコ...

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■近代文藝之研究|研究|知識ある批評(14)

■近代文藝之研究|研究|知識ある批評 (14)

人或は、理知の上で正しいものが、必ずしも鑑賞の上で正しいとは限らぬといふ。併しそれは眞に理知上の滿足といふものを輕驗したことのない人が言ふ僻説である。如何なる知識でも最後の一斷、之れで滿足といふ所は感情である。此の最後の滿足は何時でも知識から一歩を超...

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■近代文藝之研究|研究|知識ある批評(13)

■近代文藝之研究|研究|知識ある批評 (13)

要するに無定見の雷同か、然らずんば全然オーソリチーの權威を無視する破壞的亂脈かゞ、其現状である所の我が批評界にあつては、幾分たりとも之を整調し得るの途は、其の批評をして知識の根據に立つものたらしむるにあると思ふ。例へば批評と批評とをして相較べしめるが...

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■近代文藝之研究|研究|知識ある批評(11)

■近代文藝之研究|研究|知識ある批評 (11)

また之れに對して專ら知識を方法とした説定的批評があり得る。「我れは之れを美しいと見る、其の理は云々なるが故に」といふ方式で自家を定立せんとするもの、知識的根據によつて他を説服せんとするものである。而して吾人が本論で提擧せんとするものは此の種の批評に外...

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