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盗月Blog——島村抱月TextData——


島村抱月・著『近代文藝之研究』のテキスト・データ化ブログ。2014年02月に全文のデータ化終了。只今入力ミス等の校正進行中。

■近代文藝之研究|研究|知識ある批評(10)

■近代文藝之研究|研究|知識ある批評 (10)

さて斯やうな説定的批評の目的すなはち一鑑賞の定立といふことは、之れを成就するに於いて必ずしも一方法のみとは限らぬ。事實に徴するに、或は美しいといふ唯一言の鑑賞も、他の千萬言に勝つて人を服せしむるの力を有する、殆んど裸な鑑賞の發表のみと見える批評もある...

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■近代文藝之研究|研究|知識ある批評(9)

■近代文藝之研究|研究|知識ある批評 (9)

斯くの如き要求から出發する批評は、鑑賞の上に説理を加えて文藝の最後の理に到達せんことを斯する、其の終點は文藝の哲學である、所謂美學は之れに相當する。我等は文藝に如何なる價値を附し如何の態度を以て之れを遇すべきか。文藝は宇宙の現象中如何なる位置に据わるも...

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■近代文藝之研究|研究|知識ある批評(7)

■近代文藝之研究|研究|知識ある批評 (7)

世の輕卒なる者が批評の無用を唱へ若しくは批評の無根柢を難ずるに當たつて、多く陷るの弊は、此の鑑賞を批評の全部と速斷するにある。批評は鑑賞の上に説理を加へねば完結しない。批評は畢竟知識上の要求に應ぜんがために起こつたものである。
知識上の要求とは何である...

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■近代文藝之研究|研究|知識ある批評(6)

■近代文藝之研究|研究|知識ある批評 (6)

此の疑問を釋くためには、批評の他の半面を見ねばならぬ。即ち批評は鑑賞の上に之れが知識的説明を要する。鑑賞意識と説理意識の結合したものが眞の批評である、批評は單なる鑑賞ではない。批評の存立する必要は實に此の説理意識に在るといつてよい。批評の目的は此の半面...

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■近代文藝之研究|研究|知識ある批評(5)

■近代文藝之研究|研究|知識ある批評 (5)

斯くの如くして單に之れを存在觀事實觀の上から考へても、批評は夫の造化が自由に造る萬象、作家が自由に作る文藝品と同じく、評家が自由に形成する鑑賞意識の發表である。他の認諾を待つて始めて存するものでも無ければ、他に倍隷して存するものでも無い。然り、此の理は...

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