Nicotto Town


盗月Blog——島村抱月TextData——


島村抱月・著『近代文藝之研究』のテキスト・データ化ブログ。2014年02月に全文のデータ化終了。只今入力ミス等の校正進行中。

■近代文藝之研究|研究|近代批評の意義(32)

■近代文藝之研究|研究|近代批評の意義 (32)

之れに反して人間の眞理は無限の階級を追うて發展する。文明の程度と相應じて變ずるを厭はぬ。相對的である。さりながら獨り此の眞理が文藝に入る時は、最後最上のものとなつて、しばらく絶對の相を着けなくてはならぬ。左なくば眞理は遂に絶対性の姉妹たる快樂と安全...

>> 続きを読む


■近代文藝之研究|研究|近代批評の意義(31)

■近代文藝之研究|研究|近代批評の意義 (31)

文藝は文藝の爲めなりといふ語には内容の變遷がある。今若し其の第二句たる「文藝の爲め」といふ意を「美のため」と解するときは、美そのものゝ説によつても標準は變ずる譯である。而して其の變じて近代に及んだ諸意義のうち、顯著なものは快樂的傾向であらう。此の主...

>> 続きを読む


■近代文藝之研究|研究|近代批評の意義(29)

■近代文藝之研究|研究|近代批評の意義 (29)

文藝をして宗教たらしめよといふのカーライルに對して、高く實際的見地より脱越せよといふのアーノルドあるは、面白い照映ではないか。其の單に「最好のもの」といふは、何が最好であるかと問ひ得る限り無判断不完結の語たるを免れぬが、是れは新派批評の當初の沒標準...

>> 続きを読む


■近代文藝之研究|研究|近代批評の意義(28)

■近代文藝之研究|研究|近代批評の意義 (28)

是れ批評の標準を人生そのもの文明そのものゝ上に求むるの思想ではないか。されば彼れは晩年に及ぶに從ひます/\此の傾向を強くして、『ラターデー、パンフレット』時代に及べば、文藝としての現在の文藝は彼れに半一錢の價もあらず。縄飛び踊り、オペラ踊り、街道流...

>> 続きを読む


■近代文藝之研究|研究|近代批評の意義(27)

■近代文藝之研究|研究|近代批評の意義 (27)

さて此の二人が代表するところの傾向を觀るに、カーライルは批評の最後の標準を實人生に求めんとし、アーノルドは之れを實人生より獨立して文藝そのものゝ上に求めんとする。カーライルに取つては、其の『英雄崇拝論』中ダンテ。シヱークスピーアを論じた條などがよく...

>> 続きを読む





Copyright © 2024 SMILE-LAB Co., Ltd. All Rights Reserved.