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盗月Blog——島村抱月TextData——


島村抱月・著『近代文藝之研究』のテキスト・データ化ブログ。2014年02月に全文のデータ化終了。只今入力ミス等の校正進行中。

■近代文藝之研究|研究|囚はれたる文藝(18)

■近代文藝之研究|研究|囚はれたる文藝 第四(3)

我れは今より後、唯之れを追うてあこがれんのみ。新生命に入り、新光明に接せんが爲めには、先づ舊教義舊慣例の我れに邪魔するものを擺脱せんと念ふ。我が精神を法王專制、教義專制の羈約より拯うて、そこに大自由を得しめんことは我が願ひなり、と。
斯の如く思惟...

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■近代文藝之研究|研究|囚はれたる文藝(17)

■近代文藝之研究|研究|囚はれたる文藝 第四(2)

我が東道の主人ワ゛ージルは答へて曰はく「自由を索めんがために旅するものぞ」と。あゝさなり、精神の自由、語は陳なれど、之れよりも切に此の一塊の思想を表白すべき言葉はあらざるべし。當時、政教混亂して一となり、一切の主權は擧げて法王の手に委ねられたり。...

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■近代文藝之研究|研究|囚はれたる文藝(16)

■近代文藝之研究|研究|囚はれたる文藝 第三(5)-第四(1)

斯くて我が情は闇中摸索の妄飛躍をば嫌へども、智識の盡くる所、飛躍の外に途なしといふ時は、則ち情の翼に羽打つて飛躍せんことを願ふ、未來に對して無限に向上せんとする所以なり。然れども、我れは遂に之れに向つて突進すること能はず。之れを爲さん...

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■近代文藝之研究|研究|囚はれたる文藝(15)

■近代文藝之研究|研究|囚はれたる文藝 第三(4)

斯くの如くして我が五十七年は、ローマを追はれ、ヱロナに隱れ、フランスに避けたる、流離遁竄の歴史となれり。されども、我れはまた盲なる情の一面のみには從ひ得ざりき。我が理智性は、生れ得て鋭敏『神曲』中の理趣は言はずもあれ、夫の悲哀に富める『新生涯』の...

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■近代文藝之研究|研究|囚はれたる文藝(14)

■近代文藝之研究|研究|囚はれたる文藝 第三(3)

さて十字軍の一隊は過ぎ去れり。後れて一人、長衣の袖を又ぬきて、俯き勝ちに赤き道を辿り來るは、誰れと思はるゝぞ。青き道にもしば/\跨ぎ入るを見ずや。あゝ東海の客、足下うなづく所あるか。斯くて兩道に携はれるモンク頭巾の彼れこそは、我れダンテの前身なれ...

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