■近代文藝之研究|研究|囚はれたる文藝(12)
- カテゴリ: その他
- 2010/05/05 08:30:23
■近代文藝之研究|研究|囚はれたる文藝 第三(1)
第三
「あゝ我が言説復た抽象に走せたり。許されよ東海の客。來つて文藝の跡を見たまへ。赤き道の末、朦朧たるが中に一列の長き影うごめくは、中世紀のさまなり。青き道の遙かに後れて明るきは、智識が感情に追い越されたるさまとや見ん。赤き感情の路...
島村抱月・著『近代文藝之研究』のテキスト・データ化ブログ。2014年02月に全文のデータ化終了。只今入力ミス等の校正進行中。
■近代文藝之研究|研究|囚はれたる文藝 第三(1)
第三
「あゝ我が言説復た抽象に走せたり。許されよ東海の客。來つて文藝の跡を見たまへ。赤き道の末、朦朧たるが中に一列の長き影うごめくは、中世紀のさまなり。青き道の遙かに後れて明るきは、智識が感情に追い越されたるさまとや見ん。赤き感情の路...
■近代文藝之研究|研究|囚はれたる文藝 第二(5)
カントは判斷力と稱して我が思ふ所の一半を説き、ショーペンハワーは意志と稱して我が思ふ所の一半を説けり。二つのものは、相合して人生至高の力の府たるにあらざるか。而して一切の學問智見は綜括して此の一團力に觸れ來らざる限り、未完成のものたるをば免れざら...
■近代文藝之研究|研究|囚はれたる文藝 第二(4)
こゝに嬉しきは、カントかな。智識、理性に無上の權威をば持たせながら、傍らに一種の別なる力あることをも忘れず、純理性、實理性の上に、更に微妙なる判斷力といふものゝ存在を認めて、而して此の判斷力の重なる發現は、快不快等の感にありとなす。味ひ深く、優し...
■近代文藝之研究|研究|囚はれたる文藝 第二(3)
東海の客、我れは哲學に於いても、此の以外のものを求めんとするなり。
中世の哲學は基督教の註釋なり。智識の燭を掲げて、宗教の靈龕を照らさんとはしたれど、神秘の一扉これを遮ぎりて通ぜず。其の先は空しく反射して、自己の上に落ちたり。見られよ、かしこに佛...