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盗月Blog——島村抱月TextData——


島村抱月・著『近代文藝之研究』のテキスト・データ化ブログ。2014年02月に全文のデータ化終了。只今入力ミス等の校正進行中。

■近代文藝之研究|研究|囚はれたる文藝(49)

■近代文藝之研究|研究|囚はれたる文藝 第十(5)

ボザンケには美學史の著あり。近代歐洲に出でたる美學史中の白眉と稱せらる。書中、希臘の美論を評する爲めに掲げたる三標準の一として、著者は標象的と模寫的との對照を作れり。言ふ心は、模寫とは只だ見ゆるがまゝ聞こゆるがまゝの寫本を極意とするといふなり。標...

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■近代文藝之研究|研究|囚はれたる文藝(48)

■近代文藝之研究|研究|囚はれたる文藝 第十(4)

されども此の流派が果して将來長く此等の氣運を統率するの名たるに堪ふるや否や。此は未解の問題なり。同じ評家は謂へらく、獨乙人等は佛人より標象主義の名を借りて已に十數年、之れに代はるべき新しき題目をば得たしと思へど、未だ之れを發見せざるを如何にせんと...

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■近代文藝之研究|研究|囚はれたる文藝(47)

■近代文藝之研究|研究|囚はれたる文藝 第十(3)

歐洲の評壇に、近時、科學的文藝評の多く喜ばれざる、ラファエル前派、ワッツ派等の畫風の復興を見んとする、若くは白耳義のマーテルリンク等が神秘主義を取つて立つと稱せらるゝ、皆此の氣運がさする業なるべし、而して前にいひたる佛、獨の標象主義といふものこそ...

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■近代文藝之研究|研究|囚はれたる文藝(46)

■近代文藝之研究|研究|囚はれたる文藝 第十(2)

自然を自然のまゝに、若しくは現實を現實のまゝにといふが如き口氣は、ラスキンに於いて、ゾラに於いて、聞くを得れども、此は餘りに輪廓的たり、漠然たり。事實に於いても、自然を自然のまゝに寫せるものが、必ずしも十分なるにはあらず。此に於てか、或者は知的工...

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■近代文藝之研究|研究|囚はれたる文藝(45)

■近代文藝之研究|研究|囚はれたる文藝 第十(1)

      第十

「十九世紀末の文藝は、實に目もあやなる雜多の潮流の會湊なりき。前にいへるラスキン。ゾラ等の自然主義、ニイチェ。イブセン等の道徳問題、ワッツ。トルストイ等の教義的宗教の外、多感派の脈を引ける新ローマンチシズム、神秘派と見るべきベ...

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