Nicotto Town


盗月Blog——島村抱月TextData——


島村抱月・著『近代文藝之研究』のテキスト・データ化ブログ。2014年02月に全文のデータ化終了。只今入力ミス等の校正進行中。

■近代文藝之研究|研究|歐洲近代の繪畫…(46)

■近代文藝之研究|研究|歐洲近代の繪畫を論ず 十一(2)

併し彼等は此れを或程度にまで止めて双方の統一點に立場を進めた。彼等みづからは今日でも描圖よりは色彩が先だと言はぬでもないが、其の實本當の立場は自然の眞を描かんがために色彩を借りるといふに歸する。彼等のやつてゐる結果がさうである。ただ色彩を重...

>> 続きを読む


■近代文藝之研究|研究|歐洲近代の繪畫…(45)

■近代文藝之研究|研究|歐洲近代の繪畫を論ず 十(4) - 十一(1)

けれども其の時は無論それが別に派名とせられたのでも何でもなかつた。然るにナポレオン三世の亡びた千八百七十四年パリーのナダール畫堂で開いたマネー。モ子ー等一派の展覧會には、モネーの例にならつて印象といふ名をつけた畫が澤山に出て、...

>> 続きを読む


■近代文藝之研究|研究|歐洲近代の繪畫…(44)

■近代文藝之研究|研究|歐洲近代の繪畫を論ず 十(3)

印象派の發端はマネー。モネー。ドガー(H.G.E.Degas)等に歸するのであるが、中でも眞の創唱者は早く死んだマ子ーで、之れが爲めに最も多く奮鬪した世間方面の代表者はモネーである。今日ではモネーが最も知れ渡つた代表者と見られる。彼れは普佛戰...

>> 続きを読む


■近代文藝之研究|研究|歐洲近代の繪畫…(43)

■近代文藝之研究|研究|歐洲近代の繪畫を論ず 十(2)

此に於いてか一方には此の派の端をコロー。ミレー。クールベー等に發すると論ずるものが出た。兎に角此の兩派の關係は今日から見て連續したものであると共に、當時の事實は反對に生じたものと定めてよい。その次に此の派の直接の刺戟となつたものはイギリスのタ...

>> 続きを読む


■近代文藝之研究|研究|歐洲近代の繪畫…(42)

■近代文藝之研究|研究|歐洲近代の繪畫を論ず 九(6) - 十(1)

斯やうにそれ/″\の特色はあつても、此等の人々に通じて、或は自然の光線を畫き空氣を畫くとか、或は平凡卑近の題材を擇ぶとか、或は畫の全局にわたつて一つの調子を強く出すとかいふ點は何れも自然主義に歸趨するに於いて相合する...

>> 続きを読む





Copyright © 2024 SMILE-LAB Co., Ltd. All Rights Reserved.