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盗月Blog——島村抱月TextData——


島村抱月・著『近代文藝之研究』のテキスト・データ化ブログ。2014年02月に全文のデータ化終了。只今入力ミス等の校正進行中。

■近代文藝之研究|時評|禁閲覽の文學(7)

■近代文藝之研究|時評|禁閲覽の文學 (7)
青年以上の男女に對しては忠告訓戒は固より可、禁壓強制は徒らに其の精神の自由を拘束し反對の意識を強めるに止まつて何の効をも致すまい。私人の相たいづくならば知らぬこと、國家機關の一部を代表する帝國圖書館當事者が、文藝上の問題たる『魔風戀風』に禁壓を加へて公衆...

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■近代文藝之研究|時評|禁閲覽の文學(6)

■近代文藝之研究|時評|禁閲覽の文學 (6)
最後に一考すべき點は、作物其のものゝ價値如何に拘らず、之れを讀むものゝ程度によつて其の材料たり部分たるに過ぎぬものにのみ感情を支配せられ、作の全局に存する是認の契機を感悟し得ぬ弊はないかといふ事である。即ち此の理由に據つて文藝に迫らんとするものは、讀者の...

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■近代文藝之研究|時評|禁閲覽の文學(5)

■近代文藝之研究|時評|禁閲覽の文學 (5)
上來の論を以てすれば、圖書館當事者は『魔風戀風』を以て道徳と矛盾する戀愛を描いてしかも之れに最高是認の契機を配し得なかつた爲め非文藝の域に墮した作と認めるか。然らずんば如何なる文藝の化力あるに拘らず、道徳と矛盾する材料は凡て之れを斥けるといふか。そも/\...

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■近代文藝之研究|時評|禁閲覽の文學(4)

■近代文藝之研究|時評|禁閲覽の文學 (4)
若し夫れ人世に於ける戀愛の事情は萬種であるから小説中の戀愛が必ず凡て初めから道徳と矛盾せぬ者であるとは限られぬ。事實は却つて此の矛盾をこそ喜んで文藝の材とする。けれ共此の場合には必ず之れが是認の契機を一段の高處に作つて置かねばならぬ。即ち其一見矛盾と思は...

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■近代文藝之研究|時評|禁閲覽の文學(3)

■近代文藝之研究|時評|禁閲覽の文學 (3)
まして戀愛が文藝の中心感情である場合には、其の戀愛にして道徳との矛盾を殘すこと無く、最後の是認によつて直に圓融渾一の快感となる限りは、之れを其の作品の生命とする上に何の不都合も無いではないか。斯くの如きは既に精神的、道徳的破綻を顧みずして色欲にのみ狂奔せ...

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