Nicotto Town


盗月Blog——島村抱月TextData——


島村抱月・著『近代文藝之研究』のテキスト・データ化ブログ。2014年02月に全文のデータ化終了。只今入力ミス等の校正進行中。

■近代文藝之研究|時評|東西新文藝の對比(6)

■近代文藝之研究|時評|東西新文藝の對比 (6)
さて吾人が茲に簡單なる一觀測を加へんとするのは、二三十年來、東西文藝の特質として彼此互に相收容せんと試みられた諸點についての概略である。先づ之れを西洋人が東洋の文藝、就中日本文藝の特色として數へるものより言へば、彼等は繪畫に於いて最も多く之れを見た。...

>> 続きを読む


■近代文藝之研究|時評|東西新文藝の對比(5)

■近代文藝之研究|時評|東西新文藝の對比 (5)
吾人は此所まで論じ來たつて、所謂東西文明の相違といふことに根本の是認を與へると共に、其の融和といふ意味の頗る複雜なるべきを想ふの情に絶えぬ。就中重要なる文明の部門たとへば道徳といひ宗教といひ文藝といふが如きものに於いて民族的相違の極めて顯著な西洋と東...

>> 続きを読む


■近代文藝之研究|時評|東西新文藝の對比(4)

■近代文藝之研究|時評|東西新文藝の對比 (4)
起源は何れにありとするも、歴史あつて以來民族性が地理によつて變ずることは事實である。少なくとも其の一半に於いて、民族性は地理のために左右せられる。橘が一たび淮を渡れば枳に化するの理であらう。しかのみならず民族の血は恰も夫の鷄を養ふものが雜種によつて變...

>> 続きを読む


■近代文藝之研究|時評|東西新文藝の對比(3)

■近代文藝之研究|時評|東西新文藝の對比 (3)
夫の國といひ懸といひ村といふが如き區別も、吾人の見地からすれば、之れを自然の本に還して、地理的相違の自らの結果とし、茲に最後不動なる天の計畫を見んとするものであるが、併しながら國といへば既に歴史と結合し經濟と結合し政法と結合し、今日社會學者等が之れを...

>> 続きを読む


■近代文藝之研究|時評|東西新文藝の對比(2)

■近代文藝之研究|時評|東西新文藝の對比 (2)
斯くの如くして人は到底大地の支配力から免れることが出來ない。大地は肉體を己れの欲するまゝに形成し、肉體は更に之れを精神に傳へる。言ふこゝろは、氣候風土等の地理的要素が生理上から我等を支配し、生理上の變化は直ちに心の上に影響せねば已まぬといふ義である。...

>> 続きを読む





Copyright © 2024 SMILE-LAB Co., Ltd. All Rights Reserved.