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盗月Blog——島村抱月TextData——


島村抱月・著『近代文藝之研究』のテキスト・データ化ブログ。2014年02月に全文のデータ化終了。只今入力ミス等の校正進行中。

■近代文藝之研究|研究|囚はれたる文藝(55)

■近代文藝之研究|研究|囚はれたる文藝 第十二(2)

されど茲に自然主義と手を分かちて行きし一派あり。十九世紀の兒と生まれし限りは、事に觸れ物に接して、知識は泉と湧き絲と縺れて止め途なし。彼等は、此の含蓄豐かなる知識をとりて、生きたるまゝ直ちに文藝の俎上に抛たんとす。科學者の爲す如く、死なして之れ...

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■近代文藝之研究|研究|囚はれたる文藝(54)

■近代文藝之研究|研究|囚はれたる文藝 第十二(1)

      第十二

「さは言へども、我れは自然主義を呪咀し去らんとするものにあらず。十九世紀の大なる文藝は、大半此の主義の影響を蒙りて生じたり。惡む所はただ其の極端のみ、知識に隸してより後の自然主義のみ。されば此の主義が更に一たび其の自然に還...

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■近代文藝之研究|研究|囚はれたる文藝(53)

■近代文藝之研究|研究|囚はれたる文藝 第十一(2)

明白なる理想は、知識に入るものなればなり。其の他快樂的といひ、女性的といひ、神秘的といひ初心的といふが如きは、すべて知識の明確以外、感情の自由なる天地に出でんとする傾向の變形たるを見る。更に之れに多感的傾向も加はり來たる〓(「こと」の合略仮名)...

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■近代文藝之研究|研究|囚はれたる文藝(52)

■近代文藝之研究|研究|囚はれたる文藝 第十(8) - 第十一(1)

兎にも角にも、此等の解釋はみな、標象的文藝の要素たるべきこと、爭ふべからず。然れども、我れは斯くの如き標象主義及び、之れに溺れて而して尚ほ十九世紀後半の自然的潮流に反動し來たるべき、幾多の傾向を、總稱する別の名を有す。之れを横よ...

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■近代文藝之研究|研究|囚はれたる文藝(51)

■近代文藝之研究|研究|囚はれたる文藝 第十(7)

ベクリンが『人生は短き夢』の圖に於いて、花に戯るゝ少女等、戎衣の袖も赤き騎士、やがては老い行き、死に行く、白頭の人、是等を配して、我等がはかなき夢と空想とを以て飾れる人生、其の終局の惨憺さなどといふ思想を寓したるが如きは、即ち是れなり。次は全化的...

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