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盗月Blog——島村抱月TextData——


島村抱月・著『近代文藝之研究』のテキスト・データ化ブログ。2014年02月に全文のデータ化終了。只今入力ミス等の校正進行中。

■近代文藝之研究|研究|囚はれたる文藝(30)

■近代文藝之研究|研究|囚はれたる文藝 第六(6)

金翅雀を持てる聖兒等を膝に倚りかゝらせながら、左手には書を繙きたる聖母の顏に、一點現實の氣の漲り來たると共に、其最も著しき表情は、怜悧、聰明、といふが如き標徴なり。されば之れを見るに、賢女の相あり、而もなほ、温良、純潔、信仰といふが如き感は油然と...

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■近代文藝之研究|研究|囚はれたる文藝(29)

■近代文藝之研究|研究|囚はれたる文藝 第六(5)

一言以て言はば、生命無し、否、生命は無きにあらざるも、狭隘なる既成教義の下にのみ生ける生命なり、不自然に抑壓したる生命なり、若しくは人世の行路に惱み疲れたる、氣魄消沈、寒枯痩貧の生命なり。近世の始めは正しく此くの如き宗教的抑壓の下より醒起して、光...

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■近代文藝之研究|研究|囚はれたる文藝(28)

■近代文藝之研究|研究|囚はれたる文藝 第六(4)

即ち宗教畫として偉大の力を有する所以なり、されども一たび頭を回らして之れを思ふときは、我が心中に尚ほ何者かの不滿あるが如し。此の畫に、神聖は是れあり、耽溺は之れあり。人の心のさま尚中世の如くして、既成の基督教義に絶對の威權ありし世は、是れを以ても...

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■近代文藝之研究|研究|囚はれたる文藝(27)

■近代文藝之研究|研究|囚はれたる文藝 第六(3)

但し此の如きは、所詮外形の論たり。彼れの繪畫には、智識あり人間あり。是れ近世の氣運を當時に權化せるものといふべし。
ラファエロが一代は凡そ三期に分かちて見るべし、第一期は尚ほ師ペリウジノー等の跡を追ひて、古畫風に囚へられし頃なり。第二期はフヰレン...

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■近代文藝之研究|研究|囚はれたる文藝(26)

■近代文藝之研究|研究|囚はれたる文藝 第六(2)

されども此は寫實理想の語を妄用して自ら矛盾の結論に陷る滔々者流の筆法なり。古今同嘆、深く論ずるに足らず。ラファエロの寫實は必ずしも定規を手にし解剖學書を傍らに置き乍らといふが如きものにはあらざりしならん。されど其の疎描たると、密描たるとに論なく、...

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