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盗月Blog——島村抱月TextData——


島村抱月・著『近代文藝之研究』のテキスト・データ化ブログ。2014年02月に全文のデータ化終了。只今入力ミス等の校正進行中。

■近代文藝之研究|研究|囚はれたる文藝(15)

■近代文藝之研究|研究|囚はれたる文藝 第三(4)

斯くの如くして我が五十七年は、ローマを追はれ、ヱロナに隱れ、フランスに避けたる、流離遁竄の歴史となれり。されども、我れはまた盲なる情の一面のみには從ひ得ざりき。我が理智性は、生れ得て鋭敏『神曲』中の理趣は言はずもあれ、夫の悲哀に富める『新生涯』の...

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■近代文藝之研究|研究|囚はれたる文藝(14)

■近代文藝之研究|研究|囚はれたる文藝 第三(3)

さて十字軍の一隊は過ぎ去れり。後れて一人、長衣の袖を又ぬきて、俯き勝ちに赤き道を辿り來るは、誰れと思はるゝぞ。青き道にもしば/\跨ぎ入るを見ずや。あゝ東海の客、足下うなづく所あるか。斯くて兩道に携はれるモンク頭巾の彼れこそは、我れダンテの前身なれ...

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■近代文藝之研究|研究|囚はれたる文藝(12)

■近代文藝之研究|研究|囚はれたる文藝 第三(1)

     第三

「あゝ我が言説復た抽象に走せたり。許されよ東海の客。來つて文藝の跡を見たまへ。赤き道の末、朦朧たるが中に一列の長き影うごめくは、中世紀のさまなり。青き道の遙かに後れて明るきは、智識が感情に追い越されたるさまとや見ん。赤き感情の路...

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■近代文藝之研究|研究|囚はれたる文藝(11)

■近代文藝之研究|研究|囚はれたる文藝 第二(5)

カントは判斷力と稱して我が思ふ所の一半を説き、ショーペンハワーは意志と稱して我が思ふ所の一半を説けり。二つのものは、相合して人生至高の力の府たるにあらざるか。而して一切の學問智見は綜括して此の一團力に觸れ來らざる限り、未完成のものたるをば免れざら...

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■近代文藝之研究|研究|囚はれたる文藝(10)

■近代文藝之研究|研究|囚はれたる文藝 第二(4)

こゝに嬉しきは、カントかな。智識、理性に無上の權威をば持たせながら、傍らに一種の別なる力あることをも忘れず、純理性、實理性の上に、更に微妙なる判斷力といふものゝ存在を認めて、而して此の判斷力の重なる發現は、快不快等の感にありとなす。味ひ深く、優し...

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