■近代文藝之研究|研究|囚はれたる文藝(9)
- カテゴリ: その他
- 2010/05/02 00:02:28
■近代文藝之研究|研究|囚はれたる文藝 第二(3)
東海の客、我れは哲學に於いても、此の以外のものを求めんとするなり。
中世の哲學は基督教の註釋なり。智識の燭を掲げて、宗教の靈龕を照らさんとはしたれど、神秘の一扉これを遮ぎりて通ぜず。其の先は空しく反射して、自己の上に落ちたり。見られよ、かしこに佛...
島村抱月・著『近代文藝之研究』のテキスト・データ化ブログ。2014年02月に全文のデータ化終了。只今入力ミス等の校正進行中。
■近代文藝之研究|研究|囚はれたる文藝 第二(3)
東海の客、我れは哲學に於いても、此の以外のものを求めんとするなり。
中世の哲學は基督教の註釋なり。智識の燭を掲げて、宗教の靈龕を照らさんとはしたれど、神秘の一扉これを遮ぎりて通ぜず。其の先は空しく反射して、自己の上に落ちたり。見られよ、かしこに佛...
■近代文藝之研究|研究|囚はれたる文藝 第二(2)
「いかに東海の客、夫の一群は、青き道をこそ驅けぬけんとはするらし。其の先頭にある寛衣の紳士等は、希臘のプラトーン及びアリストテレースなり。中にもプラトーンは、殆んど半脚を赤き道に踏み入れんとしては、また引き戻す。手に携ふる所は『フヰードラス』の卷...
■近代文藝之研究|研究|囚はれたる文藝 第二(1)
第二
彼れは徐に手を擧げ遙かに白む地平線のあたりを指しながら、
「見られよ、東海の客。我れ足下のために古今を示すべし。かしこ天と水と相迫るところに、かすかに髪の如き一道の明るみあるを見たまはずや。天地いかに晦朦の夜なりとも、此の一線の...
■近代文藝之研究|研究|囚はれたる文藝 第一(6)
此の時夜はすでに更けたり。我が立つ上甲板の端のたもとあたりは唯闇くして人も居らず。耳を欹つれば、何れの岩に住むざれ貝が、何れの岸の藻の花に便り送るか、四方ただひた/\と浪のさゞめきのみ聞こゆ。
と見るに、山腹なるなるラワ゛の火よりか拔け出でたる、...
■近代文藝之研究|研究|囚はれたる文藝 第一(5)
されば、我がオクスフオドのキープルカレッヂに此の繪を見し夜は、我はまた眞理の明燭を片手に掲げ、紫微の御門の扉を敲いて「あはれ万能造物の御神、世は待對矛盾の塊にして、其所やがて調和を要し、節制を要し、努力を要し、道徳を要し、苦痛を要するの根原たり、...