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盗月Blog——島村抱月TextData——


島村抱月・著『近代文藝之研究』のテキスト・データ化ブログ。2014年02月に全文のデータ化終了。只今入力ミス等の校正進行中。

■近代文藝之研究|研究|知識ある批評(13)

■近代文藝之研究|研究|知識ある批評 (13)

要するに無定見の雷同か、然らずんば全然オーソリチーの權威を無視する破壞的亂脈かゞ、其現状である所の我が批評界にあつては、幾分たりとも之を整調し得るの途は、其の批評をして知識の根據に立つものたらしむるにあると思ふ。例へば批評と批評とをして相較べしめるが...

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■近代文藝之研究|研究|知識ある批評(11)

■近代文藝之研究|研究|知識ある批評 (11)

また之れに對して專ら知識を方法とした説定的批評があり得る。「我れは之れを美しいと見る、其の理は云々なるが故に」といふ方式で自家を定立せんとするもの、知識的根據によつて他を説服せんとするものである。而して吾人が本論で提擧せんとするものは此の種の批評に外...

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■近代文藝之研究|研究|知識ある批評(10)

■近代文藝之研究|研究|知識ある批評 (10)

さて斯やうな説定的批評の目的すなはち一鑑賞の定立といふことは、之れを成就するに於いて必ずしも一方法のみとは限らぬ。事實に徴するに、或は美しいといふ唯一言の鑑賞も、他の千萬言に勝つて人を服せしむるの力を有する、殆んど裸な鑑賞の發表のみと見える批評もある...

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■近代文藝之研究|研究|知識ある批評(9)

■近代文藝之研究|研究|知識ある批評 (9)

斯くの如き要求から出發する批評は、鑑賞の上に説理を加えて文藝の最後の理に到達せんことを斯する、其の終點は文藝の哲學である、所謂美學は之れに相當する。我等は文藝に如何なる價値を附し如何の態度を以て之れを遇すべきか。文藝は宇宙の現象中如何なる位置に据わるも...

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■近代文藝之研究|研究|知識ある批評(7)

■近代文藝之研究|研究|知識ある批評 (7)

世の輕卒なる者が批評の無用を唱へ若しくは批評の無根柢を難ずるに當たつて、多く陷るの弊は、此の鑑賞を批評の全部と速斷するにある。批評は鑑賞の上に説理を加へねば完結しない。批評は畢竟知識上の要求に應ぜんがために起こつたものである。
知識上の要求とは何である...

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