■近代文藝之研究|研究|知識ある批評(6)
- カテゴリ: その他
- 2010/04/14 00:00:49
■近代文藝之研究|研究|知識ある批評 (6)
此の疑問を釋くためには、批評の他の半面を見ねばならぬ。即ち批評は鑑賞の上に之れが知識的説明を要する。鑑賞意識と説理意識の結合したものが眞の批評である、批評は單なる鑑賞ではない。批評の存立する必要は實に此の説理意識に在るといつてよい。批評の目的は此の半面...
島村抱月・著『近代文藝之研究』のテキスト・データ化ブログ。2014年02月に全文のデータ化終了。只今入力ミス等の校正進行中。
■近代文藝之研究|研究|知識ある批評 (6)
此の疑問を釋くためには、批評の他の半面を見ねばならぬ。即ち批評は鑑賞の上に之れが知識的説明を要する。鑑賞意識と説理意識の結合したものが眞の批評である、批評は單なる鑑賞ではない。批評の存立する必要は實に此の説理意識に在るといつてよい。批評の目的は此の半面...
■近代文藝之研究|研究|知識ある批評 (5)
斯くの如くして單に之れを存在觀事實觀の上から考へても、批評は夫の造化が自由に造る萬象、作家が自由に作る文藝品と同じく、評家が自由に形成する鑑賞意識の發表である。他の認諾を待つて始めて存するものでも無ければ、他に倍隷して存するものでも無い。然り、此の理は...
■近代文藝之研究|研究|知識ある批評 (4)
盖し世の短見者流が往々にして懷く誤謬は、批評を以てさながら、創作者の爲めにするもの、隨つて創作者は批評家に對して「我れは批評を要せず」といふの權利あるかの如く思惟すること、是れ一、次には批評が單に創作の後に生ずるといふを以て、直ちに批評は創作の下位に隷...
■近代文藝之研究|研究|知識ある批評 (3)
批評はそも/\如何にして起こるか。一文藝に對して下したる價値の判斷、及び此の判斷の知識的説明、此の二要素が批評といふ言葉の正常な内容である。此の作品は美しい。彼の作品は美しく無い。美しいにも甲と乙とは程度が違ふ、丙と丁とは具合が違ふ。此所までは我等の文...
■近代文藝之研究|研究|知識ある批評 (2)
眞に豐熟した創作心には、決して知識の蔑視といふことは含まれて居らぬ。あらゆる知識、最高の知識を悉く自己以内に沒収し去らんとするところに、大いなる創作心の威嚴が存するのであらう。創作に取つては、知識は擯斥すべきものでなく、招徠すべきものである。秀吉ほど家...