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盗月Blog——島村抱月TextData——


島村抱月・著『近代文藝之研究』のテキスト・データ化ブログ。2014年02月に全文のデータ化終了。只今入力ミス等の校正進行中。

■近代文藝之研究|研究|近代批評の意義(12)

■近代文藝之研究|研究|近代批評の意義 (12)

整正を破り典雅明晰を破つてそこに格以外、調以外の激越の音を求めんとした。一つは是れがやがて舊派に對する第一の矢文であつた、挑戰状であつた。舊派の面々も、其の金科玉條とするものを無視せられて、何條默して已まう。忽ち矢聲は場の一隅に擧つた。身方も豫期し...

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■近代文藝之研究|研究|近代批評の意義(10)

■近代文藝之研究|研究|近代批評の意義 (10)

之れに反して評價的批評とは或る既定の尺度基準に照して作品の價値に高下を附するものをいふ。我が舊時の歌俳諧の批評などゝいふものには是れが多い。短歌は必ず二段切れで無くてはならぬといふ規則を設ければ三段切の歌は幾ら面白いと思つても右の規則に合はぬから、...

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■近代文藝之研究|研究|近代批評の意義(9)

■近代文藝之研究|研究|近代批評の意義 (9)

予は此所で此の兩説を是非しやうといふのでは無い。其孰れが是としても、面白い説明である。此等の批評ありしが爲に、ラオコーンといふ一藝術品は幾層倍味ひの源を豐にし得たか測られまい。今日では、此の一團の彫刻像から如上の批評を分け去ることは出來ぬ。此の批評は...

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■近代文藝之研究|研究|近代批評の意義(8)

■近代文藝之研究|研究|近代批評の意義 (8)

然るに獨乙國民文學の先聲者レスシングは、上の如き論を以て慊らずと、『ラオコーン』と題する長論文を公にして、詩と彫刻との限界を論じた。蓋し同じラオコーンの傳説は、羅馬の詩人ワ゛ージルも其の作『エーネイド』に於いて使用してゐる。されば論はおのづから兩者の...

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■近代文藝之研究|研究|近代批評の意義(7)

■近代文藝之研究|研究|近代批評の意義 (7)

斯やうなラオコーン像に對して、初めて有名な評を下したのが獨乙のヴヰンケルマンで、其の名著『古代美術史』は實に美術研究の上に一期を劃したもの、ヴヰンケルマンみづから、希臘美術に精通して、秀拔な鑑識力を有した人であつた。彼れがラオコーン論は「繪畫及び彫刻...

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