■近代文藝之研究|研究|近代批評の意義(1)
- カテゴリ: その他
- 2010/02/25 00:06:15
■近代文藝之研究|研究|近代批評の意義 (1)
近代批評の意義
眞理と快樂とは我等人生の闇の荒野にさまよつてゐる姉と妹である。互ひに呼びかはす聲は相聞きながらも、絶えてめぐり逢はず。逢へりと思ひしは假り寢の夢。何時かは再び相抱かう。思ふに人の世一切の努力は皆此の一つの願ひである。批評も亦...
島村抱月・著『近代文藝之研究』のテキスト・データ化ブログ。2014年02月に全文のデータ化終了。只今入力ミス等の校正進行中。
■近代文藝之研究|研究|近代批評の意義 (1)
近代批評の意義
眞理と快樂とは我等人生の闇の荒野にさまよつてゐる姉と妹である。互ひに呼びかはす聲は相聞きながらも、絶えてめぐり逢はず。逢へりと思ひしは假り寢の夢。何時かは再び相抱かう。思ふに人の世一切の努力は皆此の一つの願ひである。批評も亦...
■近代文藝之研究|研究|藝術と實生活の界に横たはる一線|九 (2)
ポツニセフの經歴は、ポツニセフみづから實行してゐる間は味は分からないが、之れが一種の想ひ出になつた時、乃至トルストイの筆を假りて書き綴られた時は人生となつてゐる。若し大悟の人があつて、行ひながら、それを觀照の對境として靜に味ふこと...
■近代文藝之研究|研究|藝術と實生活の界に横たはる一線|九 (1)
九
されば餘論として一言すべきは、實生活の味を識るに適しない事である。恰も近時世に出た論で長谷川二葉亭氏金子筑水氏等が唱ふる人世の味、泣かず笑わざる味といふ説は、之れを藝術に見て始めて、味といふを得るのでは無いか...
■近代文藝之研究|研究|藝術と實生活の界に横たはる一線|八 (2)
之れを反面から説明すれば、今まで右でも左でも自己の利害といふ岩石にぶつかつては激してゐた感情の浪が、其の岩石から距てられて、始めて過去經驗の一切を含蓄する自己内の人生圖の海に平衡を得た意識で、つまり一局部に跼蹐してゐた種々の心生活...
■近代文藝之研究|研究|藝術と實生活の界に横たはる一線|八 (1)
八
藝術が消極的に實生活と異なるのは、其の我的情緒から離れ局部的快苦から離れるにあること以上の如しとして、其の積極的方面を見ると、これは最早或る度まで前來の説で言ひ及んだ氣味であるが、詮ずる所實生活から離れると同...