■近代文藝之研究|研究|藝術と實生活の…(16)
- カテゴリ: その他
- 2010/02/05 00:02:55
■近代文藝之研究|研究|藝術と實生活の界に横たはる一線|四 (4)
而して其の作品が作品になつてゐるか居ないかといふ判斷は直觀的である。尺度はたゞ自己あるのみである。其時の自己が滿足すれば其作品は其の作者に取つては作品になつてゐるのである。標準すなはち目的は内在である、潜在である、殆ど本能的に之れ...
島村抱月・著『近代文藝之研究』のテキスト・データ化ブログ。2014年02月に全文のデータ化終了。只今入力ミス等の校正進行中。
■近代文藝之研究|研究|藝術と實生活の界に横たはる一線|四 (4)
而して其の作品が作品になつてゐるか居ないかといふ判斷は直觀的である。尺度はたゞ自己あるのみである。其時の自己が滿足すれば其作品は其の作者に取つては作品になつてゐるのである。標準すなはち目的は内在である、潜在である、殆ど本能的に之れ...
■近代文藝之研究|研究|藝術と實生活の界に横たはる一線|四 (3)
藝術研究の結論が是れに達するに當たつて、是非とも潜らなければならないのは内在目的の論である。「藝術の爲の藝術」は要するに此の内在目的研究の途次に相當する思想である。或る者が之れを以て全然藝術論の外道とするとは、共に正鵠を逸した謬論...
■近代文藝之研究|研究|藝術と實生活の界に横たはる一線|四 (2)
茲では何時でも二つの方角に分かれて進むことを忘れてはならない。一は哲學である、美哲學である。跡から考慮して附加した結論である、知識的滿足を得、また此の滿足した知識で斷えず藝術の弛怠を引き締める役をするものである。又他の一は作る時直...
■近代文藝之研究|研究|藝術と實生活の界に横たはる一線|四 (1)
四
前段で藝術の努力性の事を言つたから論のついでに藝術本能といふ事を一言して置く。盖し既に努力といへば、必ずそこに目的が伴ふ。何等か爲めにする所が無ければ人間に努力といふものは起こらない。けれども藝術の場合に於い...
■近代文藝之研究|研究|藝術と實生活の界に横たはる一線|三 (5)
しかも尚此の場合の閑事は中に千萬重の大匆忙を包括してゐる。實生活裡の情緒波瀾は如何なるものでも藝術に這入り得ない例は無い。大匆忙が直ちに大閑寂なのである。
藝術の快樂は此の味の異名でなくてはならぬ。其の他作家が往々にして經驗する神...