■近代文藝之研究|研究|文藝上の自然主義(6)
- カテゴリ: その他
- 2009/06/28 03:11:20
■近代文藝之研究|研究|文藝上の自然主義|一 (6)
文藝上の名目は其の作家から出ると評家から出るとを問はず、一代の風潮を自覺せしめ改新せしめ、繁榮せしむる上に尠なからぬ便益を與へる。主義とは畢竟或種の傾向風格を統括した總名ではないか。之れを未來に押ひろげんとするの努力が主義の努力である。自己...
島村抱月・著『近代文藝之研究』のテキスト・データ化ブログ。2014年02月に全文のデータ化終了。只今入力ミス等の校正進行中。
■近代文藝之研究|研究|文藝上の自然主義|一 (6)
文藝上の名目は其の作家から出ると評家から出るとを問はず、一代の風潮を自覺せしめ改新せしめ、繁榮せしむる上に尠なからぬ便益を與へる。主義とは畢竟或種の傾向風格を統括した總名ではないか。之れを未來に押ひろげんとするの努力が主義の努力である。自己...
■近代文藝之研究|研究|文藝上の自然主義|一 (5)
後期の自然主義は昨年來現に吾人の眼に新たな現象である。假りに時を限れば、島崎藤村氏の『破戒』、國木田獨歩氏の諸短篇等が世の批評に上つた頃を其の端緒と見てよい。前期にあつては、天外氏みづから其の主義を意識していたが、後期にあつては、獨歩氏は以...
■近代文藝之研究|研究|文藝上の自然主義|一 (4)
思ふに天外氏の自然主義は、其の理論に於いても、はた其の作に見はれた所に徴しても、今のいはゆる自然主義中の要素を、少なくとも其の傾向とし目的として含蓄してゐたことは爭ひ難き事實である。描寫方法の純客觀的ならんとすること、題材の肉に及び醜に及ぶ...
■近代文藝之研究|研究|文藝上の自然主義|一 (3)
自然主義といふ語の始めて我が小説界に掲げられたのは、多分小杉天外氏からであらう。氏は六七年前しきりにゾラを讀んでゐたやうである。其の標榜するところの由來もおのづから察せられる。併し天外氏はまた後年同じ脈、同じ態度の作を寫實と呼んでゐる。自然...
■近代文藝之研究|研究|文藝上の自然主義|一 (2)
輓近我が文壇に自然主義の這入つて來た光景も亦た「日の出前」と呼びたい。茲では文壇の夜あけがたに、何時となく東山の第一峯から鮮やかな一道の光を射上げて來た。萬物は一濟に頭を回らして之れを見つめてゐる。中には早く既に若い日の息に感じて歡呼の聲を...