■近代文藝之研究|研究|美學と生の興味(29)
- カテゴリ: その他
- 2009/05/27 17:50:21
■近代文藝之研究|研究|美學と生の興味|中 遊戯説|二 (2)
碁を圍むといへば一の餘贅な活動で、何も是れ無くては生命が支へられぬといふものでは無い。即ち圍碁は遊戯である。併し圍碁を樂むの情は美感とは言へない。圍碁には尚ほ其の事みづからの目的すなはち對手に勝つといふ目的があり、また現に烏鷺の石...
島村抱月・著『近代文藝之研究』のテキスト・データ化ブログ。2014年02月に全文のデータ化終了。只今入力ミス等の校正進行中。
■近代文藝之研究|研究|美學と生の興味|中 遊戯説|二 (2)
碁を圍むといへば一の餘贅な活動で、何も是れ無くては生命が支へられぬといふものでは無い。即ち圍碁は遊戯である。併し圍碁を樂むの情は美感とは言へない。圍碁には尚ほ其の事みづからの目的すなはち對手に勝つといふ目的があり、また現に烏鷺の石...
■近代文藝之研究|研究|美學と生の興味|中 遊戯説|二 (1)
二
シラーの後、遊戯本能の説を明白に掲げたものゝ一人は、夫のハーバート、スペンサーである。彼れは其の『心理學原理』の中に、先づ「數年前予はドイツの一著者の言を抄せるものを見たるに、美感は遊戯本能(Play-...
■近代文藝之研究|研究|美學と生の興味|中 遊戯説|一 (6)
茲で必要なのは、シラーが遊戯といふ語の意味である。彼れに從へば、遊戯性とは畢竟精神の自由な活動といふに外ならぬ。而して其の自由はやがて人間の本性の完成せられる状態であるから、遊戯には人生の理想と相接する重大な意味がある。遊戯といふ...
■近代文藝之研究|研究|美學と生の興味|中 遊戯説|一 (5)
二つの凝滯したものゝ溶け合ふ所に美が活現しはじめるといふ思想は、無論カント以來既にある所で、譬へば形と命とが坩堝の中の二塊の金屬のやうに、何時かのはづみで、とろつと溶け合ふ、其の瞬間から、もう今までの凝滯した固形物ではなくして、融...
■近代文藝之研究|研究|美學と生の興味|中 遊戯説|一 (4)
盖し我等の理性は本然の完成を欲するが故に、あらゆる制限を嫌ふ。若し形的本能を追へば形態に限られ、肉的本能を追へば生命に限られる。此の限界を撤して、全ゝ制せられる所なき自由の天地に遊ばんとするのが、人間本性の要求であつて、此れが即ち...