■近代文藝之研究|時評|脚本をして先づ…(2)
- カテゴリ: その他
- 2012/10/05 18:33:07
■近代文藝之研究|時評|脚本をして先づ讀物たらしめよ (2)
蓋し之れを作者の側から言へば、脚本である限り演ずるもの、觀る者としてといふことを第一義に置いて書くべきは勿論である。演ずるものとしての言葉と、讀むものとしての言葉との間に微妙なる筆加減のあるべきは言ふを待たぬ。筆加減といつても、何も七五に...
島村抱月・著『近代文藝之研究』のテキスト・データ化ブログ。2014年02月に全文のデータ化終了。只今入力ミス等の校正進行中。
■近代文藝之研究|時評|脚本をして先づ讀物たらしめよ (2)
蓋し之れを作者の側から言へば、脚本である限り演ずるもの、觀る者としてといふことを第一義に置いて書くべきは勿論である。演ずるものとしての言葉と、讀むものとしての言葉との間に微妙なる筆加減のあるべきは言ふを待たぬ。筆加減といつても、何も七五に...
■近代文藝之研究|時評|脚本をして先づ讀物たらしめよ (1)
脚本をして先づ讀物たらしめよ
近來新脚本が漸く世の注目を惹かんとするに至つた。就中先づ文壇に於ける讀み物としての脚本が、讀者の興味に接近して來た。脚本といへば讀んで興の無いものと頭から極められて居た從來の趨向が、一歩轉ぜんとする...
■近代文藝之研究|時評|新舊演劇の前途 (11)
これらの點から云つて、所謂芝居の將來はドーモ一旦今の新劇にでも立還り再び新に出立したものでなければ我等が望める新演劇は完成しないのではないか。若し新史劇を作る人あらば舊俳優にやらせるよりも新俳優にやらして見た方が面白からう、また藤澤氏なり高田氏なり河...
■近代文藝之研究|時評|新舊演劇の前途 (10)
此三つが今日の新劇に不調和に混在してゐることは一見明かである、本郷座の「無名氏」に於ける毛雅の雪中の落ち入りなどは、少なくとも其臺詞に於いて舊劇臭の甚しいもの、すべて新劇では表情の強い處へ行くと皆歌舞伎式の誇大的趣味になる、これに反し平坦な、弱い表情...
■近代文藝之研究|時評|新舊演劇の前途 (9)
西洋でも近代史劇は英のスチーブン、フィリップスがかいたものとか白耳義《ベルギー》のマーテルリンクの書いたものとか伊のダンヌンチオの書いたものとかには皆似たやうな意味がある。史劇とて武士道的精神や中古のシワ゛リーのみを現す者ときまつたものでない、他の一側...