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盗月Blog——島村抱月TextData——


島村抱月・著『近代文藝之研究』のテキスト・データ化ブログ。2014年02月に全文のデータ化終了。只今入力ミス等の校正進行中。

■近代文藝之研究|時評|新舊演劇の前途(8)

■近代文藝之研究|時評|新舊演劇の前途 (8)
又脚本について云つても舊劇は隨分ある處/\には立派なものあり、ことに日本民族の一特色とみらるゝ武士道的精神に訴へた作は、此一脉を傳へた點に於いて將來とも折々古劇として演ぜらるゝことがあらう。また更にその上に武士道のみならぬ廣い意味での自然の感情の流が加...

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■近代文藝之研究|時評|新舊演劇の前途(7)

■近代文藝之研究|時評|新舊演劇の前途 (7)
西洋の歴史物を見ても古い藝風を摸してゐるのは少なくない、又しかすべき理由もない、あらゆるものが時代と共に變形するものとせば、芝居の如きも人情の自然といふ點でさへ不朽の處を有してゐたならば、表情動作の如きはその時代/\で是がむしろ當時の自然であつたらうと...

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■近代文藝之研究|時評|新舊演劇の前途(6)

■近代文藝之研究|時評|新舊演劇の前途 (6)
團十郎が腹藝で一家をなし得たといふ説を理屈にして説明したならば、あれは舊劇の誇張主義の弊を救はん爲め自然主義を加へたのだともいへる。即ち只目に見えてゐる激烈なる表情即ち誇大主義を補ふに目に見えぬ腹の中即ち人情の激烈を以てしたのである。彼にとつては誇大主...

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■近代文藝之研究|時評|新舊演劇の前途(5)

■近代文藝之研究|時評|新舊演劇の前途 (5)
其次の自然的元素といふのは丁度文學に比べると小説の如き散文文學に該當する者である、東京座の「異風行列」で信長の阿呆のシグサ[#「シグサ」に傍点]の如き又は歌舞伎座でやつてゐる雁次郎物の、餘りの只事寫實に陥らずして而も誇大的たらざる或部分の如きは稍之れに...

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■近代文藝之研究|時評|新舊演劇の前途(4)

■近代文藝之研究|時評|新舊演劇の前途 (4)
同じく劇の舞踊的元素に於ても、セリフ[#「セリフ」に傍点]に於いて音樂的、シグサ[#「シグサ」に傍点]に於て舞踊的となるのは是れまた一種の自然の事實に合したものである、而して此「音樂的舞踊的なるはやがて自然的なるなり」といふことが即ち永久的なる所以であ...

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