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盗月Blog——島村抱月TextData——


島村抱月・著『近代文藝之研究』のテキスト・データ化ブログ。2014年02月に全文のデータ化終了。只今入力ミス等の校正進行中。

■近代文藝之研究|時評|東西新文藝の對比(3)

■近代文藝之研究|時評|東西新文藝の對比 (3)
夫の國といひ懸といひ村といふが如き區別も、吾人の見地からすれば、之れを自然の本に還して、地理的相違の自らの結果とし、茲に最後不動なる天の計畫を見んとするものであるが、併しながら國といへば既に歴史と結合し經濟と結合し政法と結合し、今日社會學者等が之れを...

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■近代文藝之研究|時評|東西新文藝の對比(2)

■近代文藝之研究|時評|東西新文藝の對比 (2)
斯くの如くして人は到底大地の支配力から免れることが出來ない。大地は肉體を己れの欲するまゝに形成し、肉體は更に之れを精神に傳へる。言ふこゝろは、氣候風土等の地理的要素が生理上から我等を支配し、生理上の變化は直ちに心の上に影響せねば已まぬといふ義である。...

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■近代文藝之研究|時評|東西新文藝の對比(1)

■近代文藝之研究|時評|東西新文藝の對比 (1)
     東西新文藝の對比
人間は大地にわいた蟲とは眞理ある言葉であらう。土に根を張つた樹木が大地の一連續に過ぎぬと等しく、人間も結局は大地の一連續である。肉體先づ土に連なつて、精神がさらに肉體に連なる土と肉と心と、三つはやがて一つ海水の浪となり泡と...

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■近代文藝之研究|時評|充實を欲する社會(6)

■近代文藝之研究|時評|充實を欲する社會 (6)
少しく自意識の強い鋭敏な頭の人なら、必ず多少此の自家が業務の意義に對する煩悶を感じないものはなからう。又之れを感ずるものが多くなつて行くと信ずる。つまり其の業務に熟通すればする程、型にも囚へられるし、不眞面目な箇所も目につくし〓[#踊り字「二の字点」...

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■近代文藝之研究|時評|充實を欲する社會(5)

■近代文藝之研究|時評|充實を欲する社會 (5)
家庭といふものゝ上にも同じ意義がある。一時中年の戀云々の論なぞが諸方にあつたやうだが、中年の戀といへば名に煩ひがある。之れを家庭といふ側から言へば、即ち充實した家庭を要求するといふ事になる。情の消えた空虚な形式のみで運轉する家庭は維持するに堪えない。...

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