■近代文藝之研究|時評|主觀の謙遜…(1)
- カテゴリ: その他
- 2011/10/25 22:11:44
■近代文藝之研究|時評|主觀の謙遜、現實修飾の悲哀 (1)
主觀の謙遜、現實修飾の悲哀
最近の評壇で吾人の注意に値する句の一二を言へば、田山花袋氏の「主觀の嚴肅」と、長谷川天溪氏の「現實曝露の悲哀」である。吾人は是れに更に一則づゝを附加して見やう。「主觀の嚴肅」といふことが近時の文藝の一特...
島村抱月・著『近代文藝之研究』のテキスト・データ化ブログ。2014年02月に全文のデータ化終了。只今入力ミス等の校正進行中。
■近代文藝之研究|時評|主觀の謙遜、現實修飾の悲哀 (1)
主觀の謙遜、現實修飾の悲哀
最近の評壇で吾人の注意に値する句の一二を言へば、田山花袋氏の「主觀の嚴肅」と、長谷川天溪氏の「現實曝露の悲哀」である。吾人は是れに更に一則づゝを附加して見やう。「主觀の嚴肅」といふことが近時の文藝の一特...
■近代文藝之研究|時評|情を盡くしたる批評 (3)
想ふに今の作品批評に對する批難の源は、此等の批評が常に判斷のみを擧げて根據を示さないからである。説理的批評によつて事實と理論との根據を提起するものがあれば最も妙、さも無ければ其の飾らざる事實だけでも提出する風を興したら、おのづから此の批難に答へるこ...
■近代文藝之研究|時評|情を盡くしたる批評 (2)
鑑賞はもとより情中心の仕事に外ならない。吾人が一作品に對して受け且つ發する所の印象は、情を以つて調節せられる。されば若し其の批評にして單に斯かる印象の記述のみを以て終らしめんとすれば茲に所謂印象的批評を生ずる。印象とは言ひながら、其の中に判斷の含ま...
■近代文藝之研究|時評|情を盡くしたる批評 (1)
情を盡くしたる批評
吾人は甞て本紙に知識ある批評と題して、批評が當然理智を半面の根據とすべき所以を論じた。併しながら飜つて思ふに、當今多數の批評、殊に其短小な批評に對しては、是れよりも先きに希望すべきものがある。知識ある批評といふが如きは...
■近代文藝之研究|時評|梁川、樗牛、時勢、新自我 (7)
我が思想界の今の水平線は、文學に於いて所謂自然主義、宗教に於いて梁川一家の見神論、哲學に於いて人間本位のプラグマチズム、此等に新しい自我の展開、乃至其の工風を見るところに存する。十を毀つて五とし三とし零とせんとした前期の思潮に對して、今は新た...