■近代文藝之研究|時評|梁川、樗牛、時勢…(1)
- カテゴリ: その他
- 2011/10/12 23:59:40
■近代文藝之研究|時評|梁川、樗牛、時勢、新自我 (1)
梁川、樗牛、時勢、新自我
曩には高山樗牛蚤く世を去り、今はまた綱島梁川が蚤世した。兩家ともに不惑に滿たざるの齡を以て、等しく其の晩年に一種の心熱、たとへば樗牛熱、梁川熱ともいふが如きものを世に起こした人である。想ふに梁川をして尚十年...
島村抱月・著『近代文藝之研究』のテキスト・データ化ブログ。2014年02月に全文のデータ化終了。只今入力ミス等の校正進行中。
■近代文藝之研究|時評|梁川、樗牛、時勢、新自我 (1)
梁川、樗牛、時勢、新自我
曩には高山樗牛蚤く世を去り、今はまた綱島梁川が蚤世した。兩家ともに不惑に滿たざるの齡を以て、等しく其の晩年に一種の心熱、たとへば樗牛熱、梁川熱ともいふが如きものを世に起こした人である。想ふに梁川をして尚十年...
■抱月番外編|故郷の父
私の故郷は石州であるが、東京に出てから彼れ是れもう二十餘年になる。其のあひだ、母の死んだ時の外は、一度もしみ/″\歸省したことが無い。從つて故郷の記憶も、大かたは遠い淡い夢のやうになつて了つた。たゞ所々馬鹿に際立つてはつきり想ひ出せる部分がある。 私の十ばかりの...
■近代文藝之研究|時評|今の文壇と新自然主義 (8)
單なる外界の事象に非ずして、生きた事象生きた自然を結撰する、其の方法として先づ私心我念を消せんとする。要は自然の新生命を誘ひ出さんとするにある。されば延いて之れを表白する上にも、たゞ腦底に作つた自然を寫し事象を寫すといふと異なり、其の事象其の自然...
■近代文藝之研究|時評|今の文壇と新自然主義 (7)
禪家が三昧の境はどうであるか知らぬが、自然主義の三昧境は、この我意私心を削つた、弱い、優しい、謙遜な感じの奧に存するのではないか。此の時自然の事象は始めて鏡中の影の如く、朗かに其の全景を暴露して、我れと相感應するのではないか。我れは此の時始めて自...
■近代文藝之研究|時評|今の文壇と新自然主義 (6)
吾人は假に之れを名づけて純粹なる自然主義と呼ばう。要するに寫實的なるものは、事象の結撰及び之れが表白に於いて常に現實らしくといふ一念を離れず、哲理的なるものは同じく常に箇中に理趣を深からしめんといふ一念を離れず、純自然的なるものは同じく微妙なる靈...