Nicotto Town


盗月Blog——島村抱月TextData——


島村抱月・著『近代文藝之研究』のテキスト・データ化ブログ。2014年02月に全文のデータ化終了。只今入力ミス等の校正進行中。

■近代文藝之研究|研究|沙翁の墓に…(32)

■近代文藝之研究|研究|沙翁の墓に詣づるの記 九(7) - 十(1)

耳を澄ませば彼方《かなた》の牧場には銀絃《ぎんげん》を彈《はじ》くやうな蟲の聲、寺を周《めぐ》つてさゝやくものは、楡《にれ》や菩提樹《ぼだいじゆ》の葉に戯れる風《かぜ》。あゝ此の時、願はくは舟に樂手《がくしゅ》のあれかし。樂器は...

>> 続きを読む


■近代文藝之研究|研究|沙翁の墓に…(31)

■近代文藝之研究|研究|沙翁の墓に詣づるの記 九(6)
我等はちよつと答へかねたが、娘は滿足の體に見えた。オックスフォードのインで見た時、直接に彼れに質《ただ》して見れば好かつたと不圖《ふと》考へて、思直せば、何の事、それは平生我が空想から造り上げてゐる夢に過ぎなかつたのである。ホテルへ歸る途々も、...

>> 続きを読む


■近代文藝之研究|研究|沙翁の墓に…(30)

■近代文藝之研究|研究|沙翁の墓に詣づるの記 九(5)
「倫理上では善と惡との中間に無善惡の事柄があるかどうかといふことは既に人も論じてゐる所ぢやらうが、私《わたし》は其の外に、半善惡といふやうなものがあると思ひます。シヱークスピーア[#「ヱは小文字]の場合が丁度それぢや。盗んだは盗んだがそれは普通...

>> 続きを読む


■近代文藝之研究|研究|沙翁の墓に…(29)

■近代文藝之研究|研究|沙翁の墓に詣づるの記 九(4)
すると娘も同じ電氣にでも感じたかのやうに、まじろいて身を起《おこ》した。端艇は過ぎて行く、そして遠靄《とほもや》の中に没してしまふ、岸にはあゝとの嘆息《ためいき》のみが取り殘された。しばらくして、娘は、「シヱークスピーア[#「ヱ」は小文字]が此...

>> 続きを読む


■近代文藝之研究|研究|沙翁の墓に…(28)

■近代文藝之研究|研究|沙翁の墓に詣づるの記 九(3)
是れはしまつた、アンが身の振方《ふりかた》といふ裡《うち》には、私通《しつう》の懷胎《くわいたい》といふ疑が籠つてゐる。デリケート、センスの淑女紳士の前では言ひ及ぶまじき事柄であつたと思つたが追つかぬ。話題を轉じやうとしてゐるうち、娘はポッケッ...

>> 続きを読む





Copyright © 2025 SMILE-LAB Co., Ltd. All Rights Reserved.