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盗月Blog——島村抱月TextData——


島村抱月・著『近代文藝之研究』のテキスト・データ化ブログ。2014年02月に全文のデータ化終了。只今入力ミス等の校正進行中。

■近代文藝之研究|研究|イブセン小傳(17)

■近代文藝之研究|研究|イブセン小傳 (三)(7)

イブセンが諾威を去るに至つたのは種々の事情もあつたからであらうが、其の一理由として當時自家の四圍に不快を感じたといふ事は事實であらう。ボーイセン氏が此の間の消息を叙述してゐるのは、之れをゴッス氏の記する所に比するに、稍惡い方面のみに傾き過ぎてゐる...

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■近代文藝之研究|研究|イブセン小傳(16)

■近代文藝之研究|研究|イブセン小傳 (三)(6)

イブセンのクリスチアニアに歸るや、千八百五十九年に同志の者と諾威協會を創立して諾威文學の獨立を謀ることに盡力した。ブョルンソンは推されて其の會長となり、イブセンは副會長となつた。又その作『海豪』をクリスチアニア座に提出した時、拒まれはしなかつたが...

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■近代文藝之研究|研究|イブセン小傳(15)

■近代文藝之研究|研究|イブセン小傳 (三)(5)

而して刊行の年代こそは前後してゐるが當然前二作の後に列すべき『戀の喜劇』に至つては、彼れは全然歴史的といひローマンチックといふ從來の方式を脱し去つて題材精神ともに現代を主とするの途に這入つた。ボーイセン氏曰く、
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『僭望者』...

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■近代文藝之研究|研究|イブセン小傳(14)

■近代文藝之研究|研究|イブセン小傳 (三)(4)

言ひかへれば、單に漠然たるローマンチックの興味から頭を轉じて、其の中に何物かの意味ある人生を見んとするに至つた。是れなくては滿足が出來なくなつた。所謂自覺の第一歩として、彼れは自國民族といふことに注意を向けたのである。之れに『僭望者』を対比すれば...

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■近代文藝之研究|研究|イブセン小傳(13)

■近代文藝之研究|研究|イブセン小傳 (三)(3)

また作其のものについて見るときは、此の期は一の過渡時代とも言へやう。評家によつては『海豪』に至つてイブセンは既に在來のローマンチックな作風から脱出したといふのもある。併し一方にはまた之れに同意せず、彼れは此の作乃至『僭望者』に於いて依然として在來...

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