■近代文藝之研究|研究|「五人女」に見え…(15
- カテゴリ: その他
- 2011/04/19 22:30:24
■近代文藝之研究|研究|「五人女」に見えたる思想 中(7)
兎角世にながらへる程つれなき事こそまされ、此の湖に身を投げて長く佛國のかたらひ、といひければ、茂右衞門も、惜しからぬは命《いのち》ながら、死んでの先は知らず、思ひつけたる事こそあれ、二人都への書置殘し、入水せりといはせて此所をたちのき、い...
島村抱月・著『近代文藝之研究』のテキスト・データ化ブログ。2014年02月に全文のデータ化終了。只今入力ミス等の校正進行中。
■近代文藝之研究|研究|「五人女」に見えたる思想 中(7)
兎角世にながらへる程つれなき事こそまされ、此の湖に身を投げて長く佛國のかたらひ、といひければ、茂右衞門も、惜しからぬは命《いのち》ながら、死んでの先は知らず、思ひつけたる事こそあれ、二人都への書置殘し、入水せりといはせて此所をたちのき、い...
■近代文藝之研究|研究|「五人女」に見えたる思想 中(6)
此の意味よりいふときは、西鶴の思想は多くの點に於いて却つて近代の歐洲文藝に見えたる思想と接邇する。個人性の寂寞、感情性の不滿、快樂性の悲哀、これ併しながら已みがたき人生の眞相である。
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其の頃おさんも茂右衞門つれて御...
■近代文藝之研究|研究|「五人女」に見えたる思想 中(5)
感情派が感情の行くところを窮めて、終に言ひがたき最後の不滿不安に到達し、絶望して自暴自棄に身を破る。此の間の心的状態が作の生命で、また思想であらう。人生は所詮感情の悲劇の場である。人生に對して我等の發する聲は、讃美にあらずして哀訴である、...
■近代文藝之研究|研究|「五人女」に見えたる思想 中(4)
と言つたのは、大體に於いて今も變はらぬ吾等が考である。彼れが作中、小説として最も傑れた『五人女』に於いては、さすがに人生が馬琴等の描いた如く不具でもなく、死物でもなく、活きてしかも要を摘み得た全人生の縮圖が描き出されてゐる。而して斯くの如...
■近代文藝之研究|研究|「五人女」に見えたる思想 中(3)
たゞ馬琴は、一途道念の滿足を得んと欲して煩惱の念を拒斥し、之れを以て人生の圓滿と心得候へど、西鶴はは然らず、西鶴が色欲の滿足をもて直に人生の圓滿と觀ぜしにあらざるは、『一代女』『五人女』などの中に勸懲の口氣を帶べる節少からぬを見ても知らる...