■近代文藝之研究|研究|歐洲近代の繪畫…(48)
- カテゴリ: その他
- 2010/08/28 00:00:52
■近代文藝之研究|研究|歐洲近代の繪畫を論ず 十一(4)
當時また科學的精神の勃興につれて、光線及色彩の研究がドイツ、フランス邊に起こつて來た。殊にフランスのシェヴロル(M.E.Chevreul)及び其の徒の色彩研究は少なからず印象派の人々に根據を與へた。彼等は殆どシェヴロル等の理論をそのまゝ實地...
島村抱月・著『近代文藝之研究』のテキスト・データ化ブログ。2014年02月に全文のデータ化終了。只今入力ミス等の校正進行中。
■近代文藝之研究|研究|歐洲近代の繪畫を論ず 十一(4)
當時また科學的精神の勃興につれて、光線及色彩の研究がドイツ、フランス邊に起こつて來た。殊にフランスのシェヴロル(M.E.Chevreul)及び其の徒の色彩研究は少なからず印象派の人々に根據を與へた。彼等は殆どシェヴロル等の理論をそのまゝ實地...
■近代文藝之研究|研究|歐洲近代の繪畫を論ず 十一(3)
色彩及光線の上に新畫派の生ずるに至つたのは、前述ターナー等の影響も固よりであるが、其の以外に第一反對派の畫の不自然な色彩、第二當時の科學的研究、第三日本畫の影響といふ三刺戟に本づくことを忘れてはならぬ。
反對派のアカデミー畫、例へばクールベ...
■近代文藝之研究|研究|歐洲近代の繪畫を論ず 十一(2)
併し彼等は此れを或程度にまで止めて双方の統一點に立場を進めた。彼等みづからは今日でも描圖よりは色彩が先だと言はぬでもないが、其の實本當の立場は自然の眞を描かんがために色彩を借りるといふに歸する。彼等のやつてゐる結果がさうである。ただ色彩を重...
■近代文藝之研究|研究|歐洲近代の繪畫を論ず 十(4) - 十一(1)
けれども其の時は無論それが別に派名とせられたのでも何でもなかつた。然るにナポレオン三世の亡びた千八百七十四年パリーのナダール畫堂で開いたマネー。モ子ー等一派の展覧會には、モネーの例にならつて印象といふ名をつけた畫が澤山に出て、...
■近代文藝之研究|研究|歐洲近代の繪畫を論ず 十(3)
印象派の發端はマネー。モネー。ドガー(H.G.E.Degas)等に歸するのであるが、中でも眞の創唱者は早く死んだマ子ーで、之れが爲めに最も多く奮鬪した世間方面の代表者はモネーである。今日ではモネーが最も知れ渡つた代表者と見られる。彼れは普佛戰...