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盗月Blog——島村抱月TextData——


島村抱月・著『近代文藝之研究』のテキスト・データ化ブログ。2014年02月に全文のデータ化終了。只今入力ミス等の校正進行中。

■近代文藝之研究|研究|近代批評の意義(11)

■近代文藝之研究|研究|近代批評の意義 (11)

頃は千八百三十年二月廿五日の夜、あらゆる戰鬪準備を整へて鐵の如き決意を合言葉に、テアターフランセースの劇場に新文藝の狼烟を擧げたものは、ヴヰクトル、ユーゴーといふ若い詩人であつた。作は『エルナニ』。夕方から新派に味方するものは後ろや二階の席あたりに...

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■近代文藝之研究|研究|近代批評の意義(10)

■近代文藝之研究|研究|近代批評の意義 (10)

之れに反して評價的批評とは或る既定の尺度基準に照して作品の價値に高下を附するものをいふ。我が舊時の歌俳諧の批評などゝいふものには是れが多い。短歌は必ず二段切れで無くてはならぬといふ規則を設ければ三段切の歌は幾ら面白いと思つても右の規則に合はぬから、...

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■近代文藝之研究|研究|近代批評の意義(9)

■近代文藝之研究|研究|近代批評の意義 (9)

予は此所で此の兩説を是非しやうといふのでは無い。其孰れが是としても、面白い説明である。此等の批評ありしが爲に、ラオコーンといふ一藝術品は幾層倍味ひの源を豐にし得たか測られまい。今日では、此の一團の彫刻像から如上の批評を分け去ることは出來ぬ。此の批評は...

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〜3月13日(土)まで

ブログは一事お休みします。m(_ _)m


■近代文藝之研究|研究|近代批評の意義(8)

■近代文藝之研究|研究|近代批評の意義 (8)

然るに獨乙國民文學の先聲者レスシングは、上の如き論を以て慊らずと、『ラオコーン』と題する長論文を公にして、詩と彫刻との限界を論じた。蓋し同じラオコーンの傳説は、羅馬の詩人ワ゛ージルも其の作『エーネイド』に於いて使用してゐる。されば論はおのづから兩者の...

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