■近代文藝之研究|研究|藝術と實生活の…(32)
- カテゴリ: その他
- 2010/02/21 00:10:06
■近代文藝之研究|研究|藝術と實生活の界に横たはる一線|八 (1)
八
藝術が消極的に實生活と異なるのは、其の我的情緒から離れ局部的快苦から離れるにあること以上の如しとして、其の積極的方面を見ると、これは最早或る度まで前來の説で言ひ及んだ氣味であるが、詮ずる所實生活から離れると同...
島村抱月・著『近代文藝之研究』のテキスト・データ化ブログ。2014年02月に全文のデータ化終了。只今入力ミス等の校正進行中。
■近代文藝之研究|研究|藝術と實生活の界に横たはる一線|八 (1)
八
藝術が消極的に實生活と異なるのは、其の我的情緒から離れ局部的快苦から離れるにあること以上の如しとして、其の積極的方面を見ると、これは最早或る度まで前來の説で言ひ及んだ氣味であるが、詮ずる所實生活から離れると同...
■近代文藝之研究|研究|藝術と實生活の界に横たはる一線|七 (6)
今一つの批難は樋口龍峡氏が他的同情を以て人間に限るものと見たことである。吾人の考へる所では、我々の情は必ずして對手が人間である場合にのみ流れ出でて先方へ附着するものではない。禽獸草木に對しても、將又全く無生なる摸樣、色彩等に對して...
■近代文藝之研究|研究|藝術と實生活の界に横たはる一線|七 (5)
例へば悲しい想ひが内に欝結する。聲を上げて號叫する、と幾らか慰められる、是れも自己の表現である。また其の欝結した想ひを人に物語つて自ら發散する。是れも自己の表現である。けれどもこゝまではまだ藝術となる深遠性も有して居らぬ。更に一歩...
■近代文藝之研究|研究|藝術と實生活の界に横たはる一線|七 (4)
元來實行の上に痛切な喜憂哀樂の感を懷くものが、何の必要があつて之れをまどろつこい藝術に托するか。何故に手つ取り早く之れを實行の上に追究しないか。こゝで今一度藝術發生の動機すなはち本能問題に立ち戻るが、それが即ち自己表現の已みがたい...
■近代文藝之研究|研究|藝術と實生活の界に横たはる一線|七 (3)
そも/\筆を執り刷毛を執つてそれを紙や布に書いてゐる餘裕が無い。感ずるところは如何に切であらうとも、いざ文にしやう、繪にしやうといふ瞬間には、そこに餘裕が無くてはならぬ。但し餘裕とは出來たものがのんきな緩んだ調子だといふのでは無い...