■近代文藝之研究|研究|美學と生の興味(47)
- カテゴリ: その他
- 2009/06/17 01:00:29
■近代文藝之研究|研究|美學と生の興味|下 生の増進と美|三 (4)
美は生の増進である。是れほど功利的なものは無い。こゝに何等か人生自然の眞理を描いた一幅の畫があるとする。例へばフランスのミレーが畫いたアンゼラスの圖でもよい。滿幅鳶色がゝつた田園の夕暮に、若い夫婦の百姓が一日の勞作を了へて、...
島村抱月・著『近代文藝之研究』のテキスト・データ化ブログ。2014年02月に全文のデータ化終了。只今入力ミス等の校正進行中。
■近代文藝之研究|研究|美學と生の興味|下 生の増進と美|三 (4)
美は生の増進である。是れほど功利的なものは無い。こゝに何等か人生自然の眞理を描いた一幅の畫があるとする。例へばフランスのミレーが畫いたアンゼラスの圖でもよい。滿幅鳶色がゝつた田園の夕暮に、若い夫婦の百姓が一日の勞作を了へて、...
■近代文藝之研究|研究|美學と生の興味|下 生の増進と美|三 (3)
第一義の功利といへば、直ちに宗教問題のトルストイ、社會問題のゾラ、道徳問題のイブセン、乃至理想だの、眞理だのと、雜多な道具が提出される。併し吾人のいはゆる第一義は是等で無い。是等は依然として第二義の功利で、たゞ操練や、名標と...
■近代文藝之研究|研究|美學と生の興味|下 生の増進と美|三 (2)
けれども是れだけではどうも不滿足である。絲の切れた紙鳶のやうに、何だかふわ/\として落ち着かぬ。色々と勿體はつけて見るが、物足らぬ。そこで更に切れた絲をつないで、今度は衣食住などの上つらなものに結びつけず、其の底にある生命の...
■近代文藝之研究|研究|美學と生の興味|下 生の増進と美|三 (1)
三
吾人は便宜のため茲に功利といふ意を、第一義第二義と、深淺二樣に分ける。第二義の淺い意味に於いては、操練が踊りの目的であつたり、名標が彫刻の目的であつたり、乃至勸善懲惡が詩歌の目的であつたりするのが文藝...
■近代文藝之研究|研究|美學と生の興味|下 生の増進と美|二 (4)
リボー氏の此の見地には、依然として困難が殘る。大幹の傍に出た芽生えの樹は、根の續いてゐる限り茂りもしやうが、一度根を斷たれゝば次第に弱り枯れて了ふ。始は幸にして他の實用目的に縋つて成長した美も、一旦實用目的から分離するが最後...