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盗月Blog——島村抱月TextData——


島村抱月・著『近代文藝之研究』のテキスト・データ化ブログ。2014年02月に全文のデータ化終了。只今入力ミス等の校正進行中。

■近代文藝之研究|序に代へて人生觀上の…(13)

■近代文藝之研究|序に代へて人生觀上の自然主義を論ず 六(1)

      六

餘論として茲に一言を要するのは、史上にいはゆる人生觀上の自然主義である。過去に於いて明に斯やうな名辭を用ひたのは、私の知る限りでは、Professor W.H.Hudson のルーソー論に Naturalis...

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■近代文藝之研究|序に代へて人生觀上の…(12)

■近代文藝之研究|序に代へて人生觀上の自然主義を論ず 五(2)

されば現下の私は一定の人生觀論を立てるに堪へない。今はむしろ疑惑不定の有りのまゝを懺悔するに適してゐる。そこまでが眞實であつて、其の先は造り物になる恐がある。而して此の私を標準にして世間を見渡すと、世間の人生觀を論ずる人々も、皆私...

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■近代文藝之研究|序に代へて人生觀上の…(11)

■近代文藝之研究|序に代へて人生觀上の自然主義を論ず 五(1)

      五

自分は何等の徹底した人生觀をも持つて居ない。あらゆる既存の人生觀は我が知識の前に其の信仰價を失ふ。呪ふべきは我が知識であるとも思ふが、しかたがない。何等かの威力が迫つて來て、私のこの知識を征服して呉れたら、私...

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■近代文藝之研究|序に代へて人生觀上の…(10)

■近代文藝之研究|序に代へて人生觀上の自然主義を論ず 四(4)

此の點から考へると、世の一人生觀に歸命して何等の疑惑をも感ぜずに行き得る人は幸福である。况してそれを他人に宣傳するまでになつた人は愈々幸福である。私には凡てそれ等のものが信ぜられず、あらが見えるやうに思はれてならない。或るものは持...

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■近代文藝之研究|序に代へて人生觀上の…(9)

■近代文藝之研究|序に代へて人生觀上の自然主義を論ず 四(3)

私の本心の一側は、たしかに此の事實に對して不滿足を唱へるもつと端的に我等の實行道徳を突き動かす力が欲しい、而も其の力は直下に心眼の底に徹するもので、同時に讃仰し羅拜するに十分な情味を有するものであつて欲しい。私は此の事實を我等の第...

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