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盗月Blog——島村抱月TextData——


島村抱月・著『近代文藝之研究』のテキスト・データ化ブログ。2014年02月に全文のデータ化終了。只今入力ミス等の校正進行中。

■近代文藝之研究|時評|演劇の第二種第三種(3)

■近代文藝之研究|時評|演劇の第二種第三種 (3)
諸種の藝術中でも演劇は殊に公衆的のものである。最多數者が享け得る最大の文藝的慰樂は演劇に於いてするに若くは無い。上は文藝の士から下は殆んど酒色の外に何ものゝ快樂をも知らぬ低級趣味の人までが、演劇のみは一堂に集まつて之れを賞翫する。此に於いてか高級趣...

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■近代文藝之研究|時評|演劇の第二種第三種(2)

■近代文藝之研究|時評|演劇の第二種第三種 (2)
或は、低級趣味はすなはち改むべきもの、導き進ましむべきものであるから、之れを本位とした文藝論は無用であると云ふかも知れぬ。けれどもそんな道理は無い。高いものを味ひ得ぬ多數者に對して、さらば何物をも與へないのが至當であらうか。はた適應したものを與へて...

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■近代文藝之研究|時評|演劇の第二種第三種(1)

■近代文藝之研究|時評|演劇の第二種第三種 (1)
     演劇の第二種第三種
必ずしも演劇のみに限らず、あらゆる文藝は之れを廣く社會現象の一つとして見るときは、三級の存在状態を有する。すなはち美の最高標準を追うて、少數たりとも選揀したる讀者觀者を滿足せしむればそれでよいといふ理想的のものと、高下...

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■近代文藝之研究|時評|脚本をして先づ…(5)

■近代文藝之研究|時評|脚本をして先づ讀物たらしめよ (5)
吾人は讀んで面白いが必ずしも好脚本でないといふことを是認すると共に、好脚本は凡て讀んで面白いものであると信ずる。讀んで面白くないくらゐのものは演じても面白くはない。此の意味から言つて、新脚本は舞臺に上る前先づ讀物として文壇の批評に訴へる便...

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■近代文藝之研究|時評|脚本をして先づ…(4)

■近代文藝之研究|時評|脚本をして先づ讀物たらしめよ (4)
斯う見て來れば、小説中の對話と脚本の臺詞との相違の如きは、抑も末である。要は自然といふ一語に没してしまふ。人物感想の自然に貼合する言葉でだにあれば、小説と脚本とに二つは無い。たゞそれが眞に自然であり、眞の人物感想と貼合するを要する。判別は...

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