■近代文藝之研究|時評|思ひより(3)
- カテゴリ: その他
- 2012/06/27 10:11:13
■近代文藝之研究|時評|思ひより (3)
閨秀作家といへば今のところ楠緒、八千代の兩女史を中心とするやうであるが、兩者ともむしろ一種の批評眼を具へてゐる點が注目に値する。後者の劇評は人の知る通りであるが、前者は之れを其方へ向けたら鋭利な一箇の小説批評家となるべき作家ではないか。漱石氏の『野分』に、玄...
島村抱月・著『近代文藝之研究』のテキスト・データ化ブログ。2014年02月に全文のデータ化終了。只今入力ミス等の校正進行中。
■近代文藝之研究|時評|思ひより (3)
閨秀作家といへば今のところ楠緒、八千代の兩女史を中心とするやうであるが、兩者ともむしろ一種の批評眼を具へてゐる點が注目に値する。後者の劇評は人の知る通りであるが、前者は之れを其方へ向けたら鋭利な一箇の小説批評家となるべき作家ではないか。漱石氏の『野分』に、玄...
■近代文藝之研究|時評|思ひより (2)
而して斯くの如き自然派的傾向の傍に相接して存し得べきものは、哲學的乃至神秘的感味といふ意味に於いてのローマンチシズムではないか。我等は素直なる自然派の興隆を喜ぶと共に、之れに右の如きローマンチシズムの配色明かなるものをも認める。ツルケネフたりモーパッサンたる...
■近代文藝之研究|時評|思ひより (1)
思ひより
近年の我が小説壇で、所謂寫實の漸く〓[#「厭」+「食」]かれんとするに當つては、一時天下騒然といふ氣味であつた。それが近來やゝ再び戡定の形勢を示しかけたかと見える。從來の寫實が、言はば表面的な寫實であつたのに對して今度は内面的な寫實が之...
■近代文藝之研究|時評|文藝以内と以外
文藝以内と以外
長谷川天溪氏の幻滅時代といふ説、之れを文藝以内に於いていへば、單に内容と相應じて最も多く自然なる形式に還れといふに歸するであらう。はたまた其の内容は最も多く人生最後の眞理に接近せよといふのであらう。けれども、若し更に進んで、文藝の中か...
■近代文藝之研究|時評|個人の寂寞、勝利の悲哀 (7)
詮ずるに喜んで蘆花氏の福音に聽かんとするが如き社會は、戰勝の悲哀を説くを要するほど痛切に戰勝の歡喜に魅せられてはゐないのである。此の意に於いて、吾人は蘆花氏の説教の、勞多くして用少なからんを恐るゝものである。獨り之れを日露戰爭以外、個人主義、本...