■近代文藝之研究|時評|個人の寂寞、……(1)
- カテゴリ: その他
- 2012/06/05 22:34:36
■近代文藝之研究|時評|個人の寂寞、勝利の悲哀 (1)
個人の寂寞、勝利の悲哀
我が評論壇に個人主義、本能主義が喧傅せられてから、もう幾年かになる。其の間にいはゆる宗教的傾向も現はれて來た。而して綱島梁川氏の見神の説、伊藤證信氏の無我愛の教などは此の傾向の一頂點に戴いた冠の如きものであつ...
島村抱月・著『近代文藝之研究』のテキスト・データ化ブログ。2014年02月に全文のデータ化終了。只今入力ミス等の校正進行中。
■近代文藝之研究|時評|個人の寂寞、勝利の悲哀 (1)
個人の寂寞、勝利の悲哀
我が評論壇に個人主義、本能主義が喧傅せられてから、もう幾年かになる。其の間にいはゆる宗教的傾向も現はれて來た。而して綱島梁川氏の見神の説、伊藤證信氏の無我愛の教などは此の傾向の一頂點に戴いた冠の如きものであつ...
■近代文藝之研究|時評|文學入門者に (四)(2)
以上の外數へ上げたら尚他にもあるであらむが、要するに大略先づこんなものであらう。而してこれ等のものはすべてその修養し得た所を直に模し、追隨するといふが目的でも何でもない。一度自己といふものゝ中に消化させて了ひ、全く新しいものとして新に出立すべきもの...
■近代文藝之研究|時評|文學入門者に (四)(1)
四
次に活自然、活人生を見るに、自ら實驗するといふことは容易のことではない。他《ひと》のやつてるのを傍觀するので澤山だ。又それしか出來ぬといふ人がある。是は一應尤もではあるが、然し事實に照らして見るに、作品には何處かに自己の經歴した味...
■近代文藝之研究|時評|文學入門者に (三)(5)
初めは一寸|巧《うま》いことを云ひ、素晴らしい所を見せるけれど、人工で修養した基礎が足らねば直ぐ色が褪せ、動いて行くことが出來なくなり、限りなく奧から取り出す力が衰へる。これは現今の作者間にも表はれて來る傾向である。無限に自己を發展させるだけの自覺...
■近代文藝之研究|時評|文學入門者に (三)(4)
結論は作者一個の直觀、一個の人生觀、天地觀で差支ないが、その人生觀、天地觀が深さを有して來るには一分の哲學的傾向があつて欲しい。哲學者にはならずとも宜いが、哲學者的の深さはつて欲しい。只問題は其の哲學的考察に囚へられて了つて、折角の創作心を破壞する...