Nicotto Town


盗月Blog——島村抱月TextData——


島村抱月・著『近代文藝之研究』のテキスト・データ化ブログ。2014年02月に全文のデータ化終了。只今入力ミス等の校正進行中。

■近代文藝之研究|時評|情緒主觀の文學(5)

■近代文藝之研究|時評|情緒主觀の文學 (5)
されば吾人は上來の論の歸結として、今の詩壇に尚ほ多くの情緒主觀の聲を聞かんことを願ふ。我等が小説壇に求め得ざるものを詩壇に見出ださしめよ。主觀の文學、情緒の文學も必ず趣味の一面として要求を絶つ筈は無い。而して人心の一隅に存する此の要求を充たすの任は、即...

>> 続きを読む


■近代文藝之研究|時評|情緒主觀の文學(4)

■近代文藝之研究|時評|情緒主觀の文學 (4)
詩が技巧に隱れんとするとき、之れを呼び生かさんために自然といふことを提出するのは、凡ての文藝に避けがたい傾向であるとしても、此の場合に凡ての自然派と同じく、或は題を凡景、醜物、に取り或は田園鄙賤の生活を歌ふが如きは、所詮〓[#「口」+「永」]嘆の暗示を...

>> 続きを読む


■近代文藝之研究|時評|情緒主觀の文學(3)

■近代文藝之研究|時評|情緒主觀の文學 (3)
たゞ劇と詩とに於ては情緒主觀の文學が尚多分に其の餘地を存してゐるかと思はれる。精しく言へば、劇はまたおのづから自然派に之くべき半面と傳奇派に之くべき半面とを有して、自然劇は純粹の劇を代表し、傳奇劇は音樂舞踊と抱合したる歌劇樂劇等に近よるであらう。詩壇に...

>> 続きを読む


■近代文藝之研究|時評|情緒主觀の文學(2)

■近代文藝之研究|時評|情緒主觀の文學 (2)
一時夫の前期の寫實が漸く死寫實に堕して、之れに代はるべき何等かの新らしいものを生ぜんとする〓[#「サンズイ」+「景」+「頁」]氣の動くに當たり、進んで此の氣に感觸したものは一種の傳奇的文學を想望するに至つた。或は小説の上に、或は劇の上に、或は詩の上に、...

>> 続きを読む


■近代文藝之研究|時評|情緒主觀の文學(1)

■近代文藝之研究|時評|情緒主觀の文學 (1)
     情緒主觀の文學
小説は詮ずるところ客觀の文學である。中にも近時の我が小説は客觀的と言つてよい。所謂自然派の傾向は即ち之であつて知識の上、殊に日常智の上に尠なからぬ依頼を有してゐる。勿論其の底には超越智に訴へる分子もあれば、また作者の情調に多分...

>> 続きを読む





Copyright © 2025 SMILE-LAB Co., Ltd. All Rights Reserved.