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盗月Blog——島村抱月TextData——


島村抱月・著『近代文藝之研究』のテキスト・データ化ブログ。2014年02月に全文のデータ化終了。只今入力ミス等の校正進行中。

■近代文藝之研究|研究|「五人女」に見え…(18

■近代文藝之研究|研究|「五人女」に見えたる思想 下(2)

以下、石山寺の開帳の條、水茶屋の品定めの條、吉祥寺の小坊主のくだり、神佛のお告げ等、枚擧に遑あらず。記事の卑陋にわたる箇條すら、滑稽によつて微かに之れを緩和したるの氣味あるは、げにも夫の伊太利散文の父と言はれるボッカチオが『百物語』を思ひ...

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■近代文藝之研究|研究|「五人女」に見え…(17

■近代文藝之研究|研究|「五人女」に見えたる思想 下(1)

      下

其の他西鶴が作の滑稽に至つては、徳川期の散文々學中多く類を見ないほどの妙を有してゐる。他の多くの劣等なる滑稽と異なり、言々悉く眞味を帶びて、鋭く人生の矛盾を剔抉し、しかも冷刻に落ちずして、おつとりとした中に滑稽の色を配し...

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■近代文藝之研究|研究|「五人女」に見え…(16

■近代文藝之研究|研究|「五人女」に見えたる思想 中(8)

其の松風の吹く曉、いやな夢心地のあとの氣持はどんなであつたらうか。みじめなる快樂、哀れつぽい人世の感は、殘なく此等の情景に描き出だされてゐる。
尚ほ近松の『戀八卦柱暦』と西鶴のおさん茂右衞門との比較については、同じく『風雲集』中の論文で、...

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■近代文藝之研究|研究|「五人女」に見え…(15

■近代文藝之研究|研究|「五人女」に見えたる思想 中(7)

兎角世にながらへる程つれなき事こそまされ、此の湖に身を投げて長く佛國のかたらひ、といひければ、茂右衞門も、惜しからぬは命《いのち》ながら、死んでの先は知らず、思ひつけたる事こそあれ、二人都への書置殘し、入水せりといはせて此所をたちのき、い...

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■近代文藝之研究|研究|「五人女」に見え…(14

■近代文藝之研究|研究|「五人女」に見えたる思想 中(6)

此の意味よりいふときは、西鶴の思想は多くの點に於いて却つて近代の歐洲文藝に見えたる思想と接邇する。個人性の寂寞、感情性の不滿、快樂性の悲哀、これ併しながら已みがたき人生の眞相である。
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其の頃おさんも茂右衞門つれて御...

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