■近代文藝之研究|研究|「五人女」に見え…(13
- カテゴリ: その他
- 2011/04/17 18:21:54
■近代文藝之研究|研究|「五人女」に見えたる思想 中(5)
感情派が感情の行くところを窮めて、終に言ひがたき最後の不滿不安に到達し、絶望して自暴自棄に身を破る。此の間の心的状態が作の生命で、また思想であらう。人生は所詮感情の悲劇の場である。人生に對して我等の發する聲は、讃美にあらずして哀訴である、...
島村抱月・著『近代文藝之研究』のテキスト・データ化ブログ。2014年02月に全文のデータ化終了。只今入力ミス等の校正進行中。
■近代文藝之研究|研究|「五人女」に見えたる思想 中(5)
感情派が感情の行くところを窮めて、終に言ひがたき最後の不滿不安に到達し、絶望して自暴自棄に身を破る。此の間の心的状態が作の生命で、また思想であらう。人生は所詮感情の悲劇の場である。人生に對して我等の發する聲は、讃美にあらずして哀訴である、...
■近代文藝之研究|研究|「五人女」に見えたる思想 中(4)
と言つたのは、大體に於いて今も變はらぬ吾等が考である。彼れが作中、小説として最も傑れた『五人女』に於いては、さすがに人生が馬琴等の描いた如く不具でもなく、死物でもなく、活きてしかも要を摘み得た全人生の縮圖が描き出されてゐる。而して斯くの如...
■近代文藝之研究|研究|「五人女」に見えたる思想 中(3)
たゞ馬琴は、一途道念の滿足を得んと欲して煩惱の念を拒斥し、之れを以て人生の圓滿と心得候へど、西鶴はは然らず、西鶴が色欲の滿足をもて直に人生の圓滿と觀ぜしにあらざるは、『一代女』『五人女』などの中に勸懲の口氣を帶べる節少からぬを見ても知らる...
■近代文藝之研究|研究|「五人女」に見えたる思想 中(2)
夫の西鶴を譯の聖といひ又は高上の理想なき野人といふが如きは、貴ぶも賤むに、ともにこの間の消息を會得せざるによるものと存じ候。或は西鶴の何故にしかく不健全なる理想世間を不健全と知りつゝ描きしかと訝る者も候はんか、そは戯作者の本意を餘りに重く...
■近代文藝之研究|研究|「五人女」に見えたる思想 中(1)
中
西鶴が作中の思想については、十年前に草した西鶴論の中に、
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西鶴が作の原來小説にあらずして短き記事文なる由は既に申上候、隨ひて作者の理想を加へて結構せるもの尠く、多くは俗にいはゆる寫實に候。されど一...