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盗月Blog——島村抱月TextData——


島村抱月・著『近代文藝之研究』のテキスト・データ化ブログ。2014年02月に全文のデータ化終了。只今入力ミス等の校正進行中。

■近代文藝之研究|研究|歐洲近代の彫刻…(25)

■近代文藝之研究|研究|歐洲近代の彫刻を論ずる書 第七(2)

ギリシアの傳説によるとナーシッサスといふ美少年が水鏡に映る己れの姿に見惚れて溺れ死んだ。其の精靈が化して花と咲いたのがナーシッサス即ち水仙花であるといふ。されば彫刻はナーシッサスが泉のほとりに立つて左の手に衣を掲げ右の手に之れを掴んで、...

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■近代文藝之研究|研究|歐洲近代の彫刻…(24)

■近代文藝之研究|研究|歐洲近代の彫刻を論ずる書 第七(1)

      第七

同じ結論は異つた方法によつて、デュボアが作にも加へられる。『ナーシッサス』は是れまたリュクザンブールにあつて人の眼を惹く彫刻の一つであると共に、デュボアに取つては一期を劃するの地位にある大作である。彼れは本來寫實的と...

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■近代文藝之研究|研究|歐洲近代の彫刻…(23)

■近代文藝之研究|研究|歐洲近代の彫刻を論ずる書 第六(5)

冷靜、端麗、完全、是等のものが尚殘存してゐて、動きかゝつて來るものを鎭めるといふ感が此の作に對する不滿足の理由である。結局寫實的元素と古典的元素との結合した状態である。古いクラシシズムに對しては進んでもゐやうが、其進んだ程度に於いて再び...

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■近代文藝之研究|研究|歐洲近代の彫刻…(22)

■近代文藝之研究|研究|歐洲近代の彫刻を論ずる書 第六(4)

其の表はすところの既に幾倍曲折深長を加へたるかは言はずして明かである。而も之れが飽くまでも田舎乙女といふ人間の現實境を離れずして具象せられたのは、以て其の作風の如何に自在性適應性に秀れてゐるかも察するに足る。クラシシズムの制約を一旦切り...

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■近代文藝之研究|研究|歐洲近代の彫刻…(21)

■近代文藝之研究|研究|歐洲近代の彫刻を論ずる書 第六(3)

芝居氣、舞臺的とは、中に十分ならざる感情を、外に誇張して、無いものを強いてありげに見せんとするの結果、作爲不自然の態度に陷るの意である。言ひかへれば感情の乏しい作家に多くある弊で、其の意味でのクラシカルな作風に多く伴ふ弊である。又は其の...

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