Nicotto Town



ホーボーの祖 鴨長明


最近聞かなくなったホーボーという単語、非常に好きな語です。
デラシネというと思想的な根無し草という意味あいを感じますが、
ホーボーには社会的底辺を彷徨する身体的印象、生活の匂いがあるかな。

震災関連のラジオで『方丈記』を紹介するものがありました。
「方丈の庵」に関する言及があり、天災が怖いので方丈を作ったと紹介してた。
うーむ……そうだっけ? 簗瀬一雄の註釈集成を探す……あ、ない。貸しっぱなしだ。

御存じない方も多かろう鴨長明を簡単に紹介してみましょう。
名門、賀茂神社の嫡子として生まれたが父が早世、親族に管理を任せてたら、
いつのまにか分捕られてしまった。そんなもんである。親族を信じてはイカン。

でもめげずにオベンキョウ、天皇に和歌を教える役にもつけた。
ゴホウビに、神社一軒任せてやるよと言われ喜んだ。
でも親族の讒言に遭い話がポシャった。わー、この世は無常。オレ、ホーボーになる。

タテヨコが3,6mの組立式掘立小屋を発注し、あちこちに移り住む。
地元の方々から「怪しいヤツがいるよ、注意して」なんて言われたら即引っ越し。
何十回も引っ越す。持ち物は最小限のものと、折畳式の小型琴だけだったらしい。

さて地震が怖いから掘立小屋を作らせたのか? ……なんか違う気がするなー。
心はホーボーだが世間からはそう見られたくないから、簡易プレハブ作ったんだろう。
やー、こう見えても戸建持ってるんですよハハハ。あ、借地ですけどね。

のちの吉田兼好と彼の相違を、無常観の違いとして教えられた覚えがある。
長明は嘆くこと中心の詠嘆的無常観、兼好は普遍的無常観だったかな。
ああ哀しいと嘆くだけのヤツより、無常上等いつでも来いのほうが偉いと思ってた。

未だに兼好の意地汚さや矛盾、世俗に長けた世渡りを愛しておりますが、
ただ嘆くだけってのも味がある。ズルズルベッタリ生きる様は美しい。
そんな彼のライフスタイルを具現化した方丈、天災とは無縁だと思いたいなー。

冒頭と天災に関する言及ばかり取り上げられますが、『方丈記』の真髄はソコじゃない。
インチキ蝸牛みたいな生き方でも何とかなってまっせ、辛い人はやってみな。
ホーボーのススメみたいな本ではなかろうか。そう思いたい。

現代に置き換える。誠に見習うべき人生観という気がする。
そこに兼好の世事に長けた日和見処世術が加われば怖いものはない。
案外、ICT全盛の現代にも受け入れられるんではないでしょうか。爺の自己弁護。




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