Nicotto Town



食い物屋 減らすべきでは なかろうか?


気鬱から回復して食欲が戻った。いやいや、それよりも。
飽食は国を亡ぼす一因じゃー!と叫んだら、
農水省の官僚、各農協の古参、右左の双方から同意を得られるのでは?

寿司屋に揚げ物に鳥料理、最近は天麩羅の店も増えてます。
しかしラーメン屋の数には勝てない。なにゆえここまで多いのか。
欧州で一杯2000円で売れるという。我国を代表する輸出品にまで成り上がった。

ちとローカルな話で恐縮。京急の日の出町駅で降り、長者町交差点までまっすぐ、
そこを左折して伊勢佐木町一丁目の端まで歩くと1kmちょっとなんですけど、
この経路にラーメン屋、三十軒以上あるんすよ! 裏通り入れたらもっと。

中古の業務用厨房機器を扱うオヤジと話し込んだことがあるんですが、
開店して半月で見切りつけるそうですね。スクラップ&ビルドのお手本。
同じ備品を何度も下取り、また売れるので儲かりますぜとオヤジは言ってました。

少しラーメンについて偏見を書こう。
ラーメンというのは、そこそこ旨けりゃ十分な食物である。
立ち食いソバと同格、日替わり定食よりやや落ちる程度の位置づけが宜しい。

スープと麺のバリエーションは地域性もあるだろうから、許してやろう。
乗せるものが豪華だと高くなるのも構わない、商売だから儲けたかろうし。
でもね、古武術みたいに麺とスープ『如き』にこだわるのは妙な話である。

大脱線しよう。ラーメンから渦巻きナルトが淘汰されて久しい。
昭和50年代、食通ぶった馬鹿どもがナルトを親の仇みたいに攻撃したためだ。
ワンコインで腹を満たす程度の代用食を芸術の如く祭り上げた連中の責任は重い。

中華屋や日本ソバ屋なら500円、街道筋の店なら600円までは許そう。
おっと、現代のラーメンの価格が高いといってるのではありませんぞ。
500円から600円で十分利潤が出て暮らしていける『程度』のシロモノにすべし。

大衆もその味で良しとせねばならん。求道者的店主を称賛しすぎである。
有名仏蘭西料理店で出てくるコンソメスープや、
老舗日本料亭で供されるお吸い物と同列でラーメンを論じるのは間違いだ。

ラーメン屋ばかりの話じゃない。寿司屋もなぜ、ここまで増えるんだ。
江戸庶民が猫またぎと蔑んだ脂ギトギトのネタをズラズラ並べるのも変だし、
それを旨いと喰う連中も……そりゃ江戸前の握り寿司ではない、別のモノだ。

鳥肉料理の店も、呑み屋と兼業できるためか、まあ多いこと多いこと。
焼き鳥の種類はいったい何百種類になったのか。呆れる品揃えである。
100円前後の一串に注がれる病的な情熱は、炭火で焦げるタレより煙ったい。

厨房を合理化し、外国人雇用を前提とした天麩羅屋も増加している。
ネタ数が多く、揚げたてを安く食えるけど……似て非なるものですな。
旧世代のワタクシ、安価な天麩羅というのは形容矛盾だと思うのよ。

極論。国は各地方自治体と協力し、食い物屋の数を人口と比例させるよう、
法規制を行うのが宜しい。ラーメン屋は人口2000人で一軒、焼肉屋は3000人、
寿司屋は5000人、天麩羅屋は4000人とか。全部有識者が決めてくれ。

職業選択の自由? 知るかそんなもん。
前の東京五輪当時、外食はそれだけで一種の行事でありステータスであった。
ふだんのメシは自宅で喰うものである。料理でなく『炊事』で十分だ。

独居老人やシングルペアレンツ、デュアルインカムの連中が文句を言うだろう。
だが譲らんぞ。三食の炊事ごとき、贅沢しなきゃなんとでもなる。
メシと味噌汁と総菜、パンとスープとサラダと肉か卵、日常はそれで十分だ。

あらゆるケがハレになる必要は本来ないのである。ハレとケは峻別すべし。
世間がケの食物をハレにしたがるのは、金儲けになるからってだけです。
この話題は嗜好・旨い不味いとは無関係なつもり。減らそうよ、食い物屋。




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