Nicotto Town



真に驚くものは爆笑を誘い美に至る



9歳の私に電車で片道二時間の通院は長かった。
帰路、貰っていた駅蕎麦代を面白そうな薄い文庫本に換えた。
『どくとるマンボウ航海記』。これが北杜夫との出会いでしした。

二時間、とにかく死にそうになった。爆笑を息を止め堪える。
周囲の大人の訝し気な視線は痛いけど、笑いが収まるとまた開く。
数行読む。吹き出すのを堪え……その繰り返し。

序盤で笑った一節は、大海原を前にした北杜夫が詩を読もうとして、
「ああ これが海というものだ その水は 塩分に満ちている」と呟き、
この出来栄えに満足せず、ブレーズ=サンドラールを吟じる場面。

『波間から 無数のタコがたちのぼる/ 夕日だ……』

笑いを抑えて何とか平常心で読めるようになったころ、
布団の中で再読しながら気づく。魚屋で見る茹でた蛸の赤、
窮屈にうねる脚と吸盤……ああ、確かに海辺の夕焼けの景色だなぁ……。

ピカソのゲルニカやハプニングパフォーマンス、太陽の塔は知ってたけど、
おそらくシュルレアリズムというものを意識するきっかけはこの一節でした。
これはなだいなだの訳だったはず。北杜夫はどうやって知ったのか。

『文芸首都』のなだいなだ、辻邦夫経由なんでしょうか、おそらくは。
文学のシュルレアリズムに関しては、このあとSF経由で、
ベスターのタイポグラフィ、ディレィニー、バロウズ等で意識し始めた。

絵も好きでシュルレアリズム美術にも一通り触れ、
ブルトン等にたどり着く。「驚くべきものこそ真に美しい」。
確かに確かに。でも、出会った瞬間爆笑を誘うものだって美に通ずる。

山下洋輔がフリー始めた頃、いろんな客に遭遇している中で、
最初を聴いて唖然とした後ギャハハと笑いだす客はその後も来たと書いてた。
未知なるものの受容として、まず爆笑してしまうのは正しい気がする。

笑いについて納得できる思想は哲学書や心理学書では出会えなかった。
むしろコメディアンの自伝や評伝、コメディ批評に頷けるものが多かった。
笑いというものが美と共通するのだという偏見も、次第に強くなった。

シュルレアリストや周辺の人物にはなぜか、爬虫類みたいな眼のヤツが多い。
ひゅうもあ、というものを解するシュルレアリストもいていいはずだし、
アポリネールなんてそうした資質もあるのに、顔で損してるのは残念だ。

シュルレアリズムとスラップスティックには相通ずる要素がある。
突飛な概念の提示、現実との落差/乖離から生まれる衝撃。
逆説的だが、現実を正しく認識していることが享受するための条件である。

「お笑い」のスラップスティックめいた寸劇に観るべきものは少ない。
シューレが単なる技巧・意匠化している現代美術にも興味がない。
現実認識が甘いのかしら? どちらにしろ『美』たりえない。

いやいやそうじゃない。北のエッセイやサンドラールの伝記を読み、
アハハアハハと笑えばよいのである。そうして日々を過ごすうち、
もしかすると美の本質を(理解ではなく)体感できるのかも。




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