Nicotto Town



開戦80年で観る『世界大戦争』



旧憲法下の節目の日に反戦映画や記録集を観ることが多いです。
終戦を経験した親世代の思いを受け継がねばという義務感もあるし、
体制・大義・正義・善に決して靡かぬというエゴイスティックな決意表明の趣もある。

今回観たのは1961年東宝配給のヒット作『世界大戦争』。
『渚にて』等の人類絶滅モノが売れていたので勢いにのって作られた、
オールスターキャストの娯楽(!?)大作です。40年ぶりに鑑賞。

若いころ観たときはフランキー堺の演技が凄く心に残った。
何も悪くない。ただ嘆き悲しむことしかできず、妻と子を集め、
ちゃぶ台に御馳走並べ喰い「幸せだった」を繰り返す無力さに共感した。

その無力さ、「何も悪くない」ことこそが罪なのであるという、
仏教的無常観を読み取るのは私の勝手な解釈なのですが、
監督が真宗の僧侶、脚本家の一人が元左翼というのを後に知り、なぜか納得。

同時に「無力であることの、何物にも換え難い美しさ」も感じます。
託児所の保母、必死に子を迎えに行く母親、焼き芋の屋台を引く初老男……
なんて美しいのだろう。俺はせめて、こういう人たちを憶えておこう。

国策映画時代から鍛え上げた円谷特撮の頂点を極めた作品でもあります。
F101とミグ21の空対空核(!)ミサイルの撃ち合いシーン、
編隊飛行や機銃斉射、効果音のリアルさに何度も驚いてしまう。

東京に核が落ちたのちの数分間の映像は、作り物とはいえ言葉を失う凄惨さ。
富士の数倍の高さに禍禍しく立ち上がるキノコ雲、土も鉄も溶け地を流れる。
見事な映像だが、これは1939年の『燃ゆる大空』と同じ特技監督の作である。

今回は笠智衆の演技が沁みた。外洋船の給仕を演じており、
核の落ちた東京を眺め呆然とする船員に淹れたての珈琲をサーブして回り、
東野英治郎演じる船長と他愛もない会話をする。これも佳い。

私の嗜好のせいか、反戦という側面より無力感のほうが濃厚に感じられる。
フランキーと乙羽信子による夫婦の会話も抑制がきいており、
稲荷寿司や海苔巻、メロンに舌鼓を打つ無邪気な子供とのコントラストが引き立つ。

巷では地震多発ブーム(?)にのり『日本沈没』に注目が集まってるが、
小松左京のデビューは奇しくも61年、この映画とほぼ同時期です。
きっと観たと思う。彼の作品に影響を与えた、とまではいいませんが……

核のシーンは『復活の日』でARS破壊に失敗した吉住とカーターを思い出させ、
市井の庶民の無力感は『果しなき流れの果てに』の至る所に描かれている。
侵略テーマの『見知らぬ明日』にも通じるし……偶然ではなさそうだ。

『日本沈没』終盤で田所博士と渡老人の対話に出てくる、
「わたしは日本人に、日本といっしょに死んでほしかった」という告白、
並々ならぬ共感を抱いてますが、これは旧世代の価値観ですよね。

妄言。第九条というのをバカ正直に守り、侵略に一切抵抗せず、
歴史上唯一、他国の侵略に一切抗わず微笑みながら絶滅した高貴な民族、
大和民族にそういう可能性を期待するのは、私や小松だけではなかろう。

まあいいや。往年の東宝スターがゾロゾロ出てくるのも目を喜ばせる。
笠智衆の娘役で託児所の保母を演じる白川由美が上手い。
宝田明と星由里子がモールスでやりとりする場面もなかなか。見どころは多い。

未見の方には消極的にお勧めしておきましょう。特撮ファンなら是非。
むしろ、とってつけたような露骨な反戦メッセージを無視して眺め、
それでも観賞後に残る微妙な引っ掛かりを楽しむのによい映画です。

なお、名優フランキー堺はコメディアンとしては『幕末太陽傳』、
性格俳優として『私は貝になりたい』という代表作を持ってますが、
この映画では『幕末太陽傳』に近い江戸落語風セリフ回しが楽しめます。




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