Nicotto Town



ほんとはこうだった、かも。


数年に一度、誰かに憑依した夢を見ます。
知人の時もあれば歴史上の人物のときもあり、
物語や創作の登場人物ということもある。

その人物の右肩のあたりに自分の意識だけが付着していて、
かれやかのじょの思考と身体感覚はほぼ共有できており、
時には意識で対話も成立するという、適度に奇妙な夢なのです。

昨晩はこんな感じでした。なぜか疲れが全身を支配している。
大谷石みたいな石壁で囲まれた窓の大きい明るい部屋で、
そいつは座り心地の悪い木の椅子にだらしなく腰掛けている。

ああ、これから始まる何かを待っているんだと分かりました。
木の扉の向こう、石段の下あたりの広場みたいなところから、
群集の気配が、乾いた砂混じりの風と共に運ばれてくるからです。

ああ、そうか、コイツはアイツだ。着古した生成りの麻の服の感触や、
鬱陶しげに眼にかかるぼさぼさの長い髪、そしてなによりも、
こうじゃなかったんだよなぁ……という呟きで確信しました。

アイツと会えたらぜひ訊きたかったことをひとつ、たずねてみました。
……アンタ、親父さんのこと、けっこう好きだったんじゃないのかい?
男は「いいや」と意外な答えを返しましたが、続く言葉に私は頬を緩めました。

「好きっていうなら……母ちゃんのほうだな。父さんは、尊敬してる」
……スゲエ分かるな。いい人だったみたいだよな。
「おお。俺なんぞより遥かに、な。腕も良かったんだぜ」

……家業継がなくて構わねえからって言ってくれたんじゃねえの?
「まあな。父さんみたいな器用さも丁寧さも、俺にゃ無理だったし。
弟子にも俺より腕のいいヤツが何人かいたし、妹達も金かかる年頃だし……」

……お袋さんも大した人だと思うぜ。いい人の嫁になれたよな。
かれは我が意を得たりとばかりに大きく頷き、肩の上の私は姿勢を崩しそうになりました。
「ほんと、それ。母さんの苦労を思ったら、俺、弱音とか言えねえよ」

「アンタ、娼婦ってのをどう思ってる?」
……俺の母親がガキの頃、近所の娼婦によくしてもらってたんだ。
伯母の一人は医者の愛人やって死んだ。体売る女ってのは皆、女神だ。

「女神か……そりゃ言い過ぎだがな、幸せになる権利はあるよな」
デリケートな話題を避けようと私は話題を変えようとしたのですが、
あいにく彼の独白めいた呟きは既に始まっていました。

「ててなしご、って言われて意味も分かんなくてさ」
「母さんに言っちゃいけない気がして父さんに聞いてみたんだ」
「父さんがカッコいいこと言ったね。なんていったと思う?」

……全ての人の親はただ独り。おまえのうちにあるその人だけだ、とか?
かれは私の答えを聞くと瘦身を仰け反らせるようにカハハと笑いました。
「そうそう。そんな感じ。でもよ、俺の父さんはあの人だって信じてるんだ」

……そういうもんだよ。そういう折り合いをガキ時分につけたのは大したもんだ。
「ガキの頃っていったらよ、河で水浴びしてる近所の娘を覗きにいってさ」
「その親が怒鳴り込んできたときの母さんの権幕ったら、なかったよ」

「『おまえも裸の娘見て喜ぶ外道になるのか!』って怒鳴るなりタコ殴りだよ」
「平手も拳も蹴りもおかまいなし、椅子や水差しも投げたな。いやー痛かった」
「翌日父さんから、結婚前に母さんが礼拝堂で何してたか聞いたのさ」

……それより先は言うな。言わねえでも分かるからよ。
そのあたりで遠慮がちに扉を叩く音が聞こえ、複数の男の声がしました。
どうやらかれを呼びに来たようです。かれは眉をひそめました。

「つくづくやりたくねえ……代わってくれないかい?」
……お断りだ。大体は覚えてるけど、あんな御大層な文句は喋れねえよ。
「そんな話し方、俺はしてないぞ。責任者に言っといてくれ」

……分かった。町内で焚書活動でも広めるとするわ。そんでよ。
……石打ち刑から助けてやったあの娘、ちゃんと責任とれよ。
……責任って分かるな。所帯持ちガキこさえ、看取ってもらうってことだ。

かれの苦笑は甚だ好感を抱ける性質のものでした。
「また大工か、石工もいいかな……練習しとかなきゃ」
かれが立ち上がるのを潮に、私の意識はそこに留まりかれは扉へ向かいました。

扉を開けると期待に満ちた愚者の群れの歓声と共に強い陽差しが乱反射し、
粗末な麻布を透過し、かれの骨太な痩身をうっすら象りました。
かれは最後に、恥ずかし気に手を挙げて挨拶をしてくれました。

まだ傷のない、意外に無骨な掌をこちらに向けて。




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