Nicotto Town



欧州の即興演奏について


入院後一度も会えぬまま要介護5に認定された親族の件から逃避するため、
大好きな話題について書き飛ばし、新年の存在証明といたしましょう。
かなり病的に音楽を好む方向けの文章であることをお断りします。

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60年代、ジャズと前衛クラシックの影響を受けて始まった欧州の即興演奏、
一般にフリーインプロヴィゼーションと呼ばれる音楽が大好きです。
ジャズやロックと、アヴァンギャルドと何が違うか? 大して違わないけど……。

欧州と断ったのは、黒人主導のアメリカのジャズ系即興とは違うからです。
私は人種的偏見も強い極悪人なので遠慮なく言わせていただきますが、
ジャズの本質はアメリカ黒人音楽である、と言い切りたいのです。

スピリチュアル~ゴスペル、ブルース、ソウル、R&B……
ほぼキリスト教の影響下にある黒人音楽の一つがジャズですが、
公民権運動やブラックムスリムの台頭で音楽も尖鋭化していきます。

その最前線にいたのが、アメリカの前衛ジャズマンたちでして、
一部には白人もいたんですけど、基本は攻撃的な社会変革の実現。
形だけ真似たのが某国の安保闘争や平和運動、学園紛争でございましょう。

かなり脱線してるな。要はですね、欧州の即興演奏志向者は悩んだんです。
社会に抑圧されたことのない白人が、黒人の創造物を模倣/簒奪していいの?
(欧州の階層・民族対立は主にロックのメインテーマだと思うのです)

クラシックの伝統があるから器楽演奏力はもともと高く、
60年代ジャズをそのまま演るのも、発展させるのも難しくはない。
ドンレンデルの『ダスクファイア』は欧州のマイルスバンドともいわれた。

だが所詮は借り物、物真似。しかも抑圧された結果でもない。
俺たちゃ何をよすがに演奏してきゃいいんだ!? どうすんべ!?
この結果生まれた音楽のひとつが欧州のフリーインプロだと思ってます。

あくまで個ありき。リズムもメロも和音も拒否。最初期はそんな感じ。
ジャズ系のフリーはまだ「音楽」的響きや形式を残してますけど、
欧州は音楽の基本構造さえ拒絶した。フリージャズとフリーは違うのです。

ジョンスティーブンスのSME、ベイリー主催のカンパニー、
オランダのICP等が有名ですが、ここからが面白い。
どれも即興演奏を基本にしてるけど、まあ、全然違うんです。

既存の音楽の歴史や成果を全て排除するなんて無理なわけです。
彼らは『禁止の禁止』『あらゆることが自由である』という音楽を創り始める。
何をやってもよろしい。まず個の充足(自己満足と言っても可)が第一義。

好き勝手にデタラメやる連中が同じ場に集まって、音楽になるのか?
断固として『YES』です。これが欧州即興系の魅力です。
個人的には、21世紀の人の在り方に関わる重要な示唆を含んでいると思います。

多様性社会・共感力といったキモチ悪い言葉がデファクトスタンダードですが、
差別も偏見も闘争も決してなくなりません。言語だけでなく、
認識というものも『差異』によるシステムだと思うんですよ。

差異は必ずあるんです。偏見も侮蔑も、排他原理も消えはしません。
ですがなぜでしょう。なんか近くにいるだけで、存在を意識するだけで、
独りのときとは何かが違います。それこそが来るべき社会の姿ではないか。

傍にいながら関わらない。これは事なかれ主義か、モラルの欠如か。
そうじゃないと思いたい。それは一つの在り方だと思う。
話を戻します。フリーインプロって、要はこういう音楽なんです。

いや、全てのフリーインプロがこう聴こえるわけじゃありません。
SMEは遥かに道徳的で、教育による可能性を信じる良識派の面が強く、
ICPはダダイズムじみた狂乱とアナーキズムが濃厚かもしれない。

デレクベイリーの関わったMIC~カンパニーの音楽は、
互いに無関係でありながらも場を共にする意思への信頼といいますか、
可能性といいますか、そういうものに溢れているように聴こえます。

技術論にしましょう。リズムもメロディもハーモニーも無視するの!?
どうやって音楽に仕上げるのよ!? 常識人は怒り出すでしょうけど、
ウェーベルン等の音色旋律、ケージの偶然性、あと電子音楽が一方のヒントに。

そしてもう一つが民族性。私の大好きな『血』の話です。
英国、独逸、阿蘭陀、仏蘭西、伊太利、露西亜……けっきょくどこかに、
自分がかつて所属した社会集団共通の歴史/記憶としての音楽が現れる。

好き勝手やっていいよ、デタラメでいいよと言われ、
メチャクチャやったとしても、おそらく国によってデタラメ度合が違う。
完全即興って、ある意味では出自が強く音に現れる音楽なのです。

完全即興にユニゾンが原理的にあり得ないのは分かりますよね。
コールアンドレスポンスやハーモニーも基本的に起きないし、
緊張→持続→弛緩といった動きも(半ば意図的に)避けます。

ところが完全に禁止されてるわけでもないのです。
極端な実例を二つ挙げましょう。一つはあるライブでの出来事。
4人で演奏してたが、一人がなぜかプッツンした。

残りの3人の演奏が(インプロ的に)統一感を持ち始めると、
可能な限りの手法でそれを邪魔し続けた。レコードにも残ってますが、
驚くべきことは全員が「いい即興だった」と振り返ったこと。

二つ目。あるユニットの電子楽器担当者は、演奏の収束を殊の外嫌い、
演奏がデクレシェンドして終わろうとすると一人で大音響を出し続け、
メンバーが渋々音を出すまで演奏を引き延ばすという方法を頻繁に使った。

彼は「即興ユニットとしての定型化・硬直化を避けるために貢献できた」と
自らの活動を振り返っていましたが、邪魔された他のメンバーは、
「彼がいたからこそああいう即興になった」と別の回想を語っています。

この二例とも、音楽的断絶、ディスコミュニケーションに思えますが、
いやいやそうじゃない、これこそコミュニケーションの本質だとも思える。
拒絶する自由、拒否する自由すら許容するのもフリーの特徴です。

正統のクラシック演奏家・ジャズメン・ロック屋には許しがたい暴挙、
それも欧州即興演奏の魅力です。他にありませんよね。
『4分33秒』から20年ほどで、音楽はこんな地平に至ったのです。

どれ聴いてもそれなりに楽しめる……う、嘘ですゴメンナサイ。
肌に合わないのもあります。退屈で眠くなる盤もけっこうある。
でも数年経って聴き返すと不思議なことに聴けるようになってたりする。

SMEはジョンスティーブンスという人の性格が強く出た、一種啓蒙的な前衛。
69年の『迦陵頻』よりも『Frameworks』あたりがお勧め。
ICPは10人編成の『Tetterettet』から聴くのが王道でしょう。

カンパニーは欧州勢で固めた初期の『Company 1』が無難です。
ソロやデュオが大量にありますが、醍醐味は集団即興でしょう。
全員がリーダーであり誰もリーダーではないという妙が味わえます。

日本の集団即興系はリーダーの存在が大きくなりがちで、
欧州的な、対等なやり取りを楽しめる盤が少ないんです。
全方位に散乱し収束しないデラシネ的音世界が苦手なのかな。

全てが誤謬であるという諦念と、全てが正しいという楽観論は、
他者から見れば同一のものであり、等しく無意味である。
即興ってのは、そんなことを教えてくれる稀有な音楽だと思ってます。




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