Nicotto Town


エレウシス


田舎に行こう

「はだしのゲン」以来、戦争関係の話、よく書きますが。

戦時中の話で、一つ納得行かないものがあるのです。


「疎開」のこと。

大抵の記事やドラマ、マンガでは
疎開した人の側に立って、
「疎開先の暮らしは酷かった」
って話になってますね。

「疎開先の側」から見た
“疎開して来た人たち”って
どんなもんだったか、て視点がないのです。


私の義母は疎開した側でした。

私の祖父は市職員で疎開を受け入れる側でした。

双方の話を聞くと、食い違ってて面白い。


疎開を受ける側からすると、
畑仕事も山仕事も、何にもできない子供が来て
食い物だけが減るのです。

また、山村には共同生活を維持するための
様々なルールがあります。

川魚を採る時期、その量。
山菜を採っていい場所、来年以降に繋がる採り方。
神域とそこを避ける遊び方、等々。

地元の子たちは小さい頃から
きつく教えられてるから、ちゃんと守る。

都会から来た子達は、知らずにルールを破りまくる。

大人たちから見れば、
「やっかいもの」以外の何者でもなかったでしょう。
田舎の子たちは、なんだかんだ言っても
労働力として換算できましたからね。

その上、普段は便利な街の暮らしをしているのに
都合が悪くなったら、田舎にタダでやってくる。
という、やっかみもあったでしょう。

こういうことでの軋轢は相当あったそうです。

もちろん、双方の立場を理解し合って
互いに新しい知識を教えあって、
楽しく過ごせた地区もありました。

でも、そちらの方が少数派だったようです。


これから先のことはわかりません。

ただ、今の政治や経済の流れを見ていると、
将来、“疎開”が復活してもおかしくないと思っています。
(フクイチの件もある意味、疎開だし)

メディアに溢れる、「行った側からの一方的な視点」
の疎開を鵜呑みにしていると、
当時と同じことが、また起きてしまうのではないか、
と思ってしまうのです。

都市生活者と田舎生活者は
ニューヨークと東京以上の異文化生活。
そのことは忘れないようにしませんと。

異文化交流はお互いを知って、
互いの文化を尊重しあうことが基本です。

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2013/09/03 22:53
☆つつじ さん
 学校のクラスでも「変わってる子」を「個」として
 受け入れられるクラスと排除するクラスがあります。
 コミュニティの構成力の差なんでしょう。
アバター
2013/09/02 22:40
すごくいい視点ですね。
私は国外の田舎に住んでいるのですが、疎開を受ける側のような話はたくさん聞きます。
都会のナンバープレートをつけた車を地元民は極力避ける、地元民のような服装をしていない人をあまり好まない…といった細かな部分で地元民はあまり親交をしない部分がありますね。
最近読んだものが、戦後の孤児の暮らしの様子。生きて行くために「あらゆる悪いことを善悪の価値観なしにした」そんな内容になっていました。社会の出来事の中で悲劇のみがクローズアップされてしまうことで、その時の本当の状況や真実が隠れてしまうことは多々あります。

教育の中で一番足りていない部分が実は「自分以外の人を尊重する」ということだとよく感じます。
違いを楽しむ、違うことが当たり前、違うからこそ好きなんだ…そういう感覚を子どもの教育の中で育てていってほしいと世の親に期待してます。



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