Nicotto Town


エレウシス


花燃ゆにつなげてみる

昨日の続きで光格天皇の事跡を調べてた。


この人が即位したのは田沼意次の時代。
昔は“賄賂政治”と腐敗の時代と言われてましたが、
 ・開国への準備
 ・実力ある者の登用
 ・身分制度の破壊
 ・学問の隆盛
 ・民衆文化の奨励
 ・政治批判に対しての処分禁止
等々、開明的なことを行なっており
再評価されています。

ただ、既得権益者の反対があったことと
如何せん、自然災害が多発したこと
これで失脚することになりました。

  まー、このへん、東日本大震災で
  民衆の支持失った民主党政権のイメージと被りますね。
  最初に災害対策費削ったの自民党だし、
  原発事故は東電経営層とズブズブの自民党だったら
  もっと大きな被害になってただろうにね。



その末期、光格天皇は即位しましたが
即位後すぐ、天明の飢饉が起こります。

江戸や大阪で打ち壊しが起こる中、
京都の民衆はわずかの希望を託し
御所に千度参りを行うものが大勢出ました。

その数、7万人。

これに対し宮中では、上皇があったリンゴを配ったり
公家たちもお茶や握り飯の炊き出しをしました。

この様子を見た、まだ幼年の光格天皇は
幕府に対し、民衆の救済を要望します。
なんとか、餓えた民を救ってくれないか、と。

ですがこれ、「禁中並びに公家諸法度」に抵触すること。
政治的なことに口出しすれば、天皇も幕府に
処罰をうけることになります。
それでも、なんとかしたかった。

この少年天皇らしいの誠実な姿勢に、
周囲の公家も動かされ、徳川幕府始まって以来の
「政治的意見」を宮中が発します。

もちろん、指示する公家も処罰覚悟。

ですが、当時の幕府は田沼時代。
民衆の生活を第一に、実力者を登用する時代。

前例を無視し、この意見を好ましいものとして受け入れ
お救け米として1500石を放出。
関係者の罪を問わない、とします。

このまま、幕府と天皇の良い関係が続けばよかったんですが、
田沼意次は将軍の死とともに失脚。

次の松平定信はカッチカチの幕府第一主義者。
光格天皇とは大バトルを繰り広げることになります。

ですが、民衆の心のよりどころが天皇家であることを
明確に認識した光格天皇は、
民の立場に立って、「お救け米の前例」をたてに
外交、政治に口を出すようになるのでした。

天皇支配の正統性をうたう本居宣長の「古事記伝」も
天明の飢饉の後から刊行が始まります。

この天皇家への民衆の支持を受けた光格天皇の行動が
明治維新への淵源となってくるのです。
 




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