月光露針路日本
- カテゴリ:30代以上
- 2019/05/30 23:59:19
三谷幸喜の歌舞伎。
昨年正月の「風雲児たち」シリーズを今回は歌舞伎で。
観たい。
とっても観たい。
・・・行けないだろうけど。
テレビ中継してくんないかなー。
で、主人公の大黒屋光太夫の話をかいつまんで。
大黒屋光太夫は江戸時代、商家の次男に生まれ、
別の商家に養子に行き、廻船業者の仕事を順調に発展させます。
ところが、ある日、静岡沖で嵐に遭い漂流。
この漂流はなんと7か月に及びました。
たどり着いたのはアリューシャン列島(アラスカ)。
暖かい静岡から極寒のアラスカまでの漂流。
そして16人いた船員は。。。。。
1人を除いて無事でした。
これだけでも、恐ろしい程の指導力が垣間見えます。
漂流先では原住民の他、毛皮を獲りに来たロシア人に遭います。
言葉も通じないロシア人ですが、
身振り手振りで会話を少しづつ覚えます。
すると、間もなく迎えの船が来るので、
それでロシアまでなら連れて行ってくれる
とのことでした。
光太夫たちは、ロシア船を待ちます。
そして、ついに船がやってきた日。
光太夫たちの目の前には。
。。。難破した船がありました。
自分たちを救ってくれるはずのロシア人も
同じ漂流者になってしまったのです。
途方に暮れるロシア人たち。
しかし、光太夫は、日本人の部下を動かし
難破船を解体して、新しい船を作ろうとします。
これを見てロシア人も発奮。
光太夫をリーダーに、3年かけ船を完成させ、
カムチャッカにたどり着きます。
そこから、ロシアの首都サンクトペテルブルク(バルト海沿岸)
に向けてシベリア大横断が始まります。
旅の間では、スエズ運河を作ったレセップスの叔父や
大博物学者キリル=ラクスマン、等著名人との交流を行います。
しかも途中のイルクーツクでは、なんと日本語学校がありました。不凍港を求めるロシアは日本を開国させ、交流するため
1705年から光太夫のような漂流者を教師に
日本語学校を開設していたのでした。
仲間の一人は教師としてロシアに残ることにもなります。
そして、シベリアを横断した光太夫は
エカテリーナ2世に謁見。
日本へ送り届けてもらう約束を取り付けたのでした。
そして、またシベリアを逆に横断して行きます。(笑)
ただし、ロシアに残ることを決断したものもおり、
日本に向かったのは3名のみでした。
北海道で一人が力つき、
江戸までたどり着いたのは結局、光太夫他1名のみ。
鎖国時代にシベリア大陸を往復した光太夫に対し、
時の幕府は長時間の取り調べを行いますが、
ロシア皇帝にすら謁見した光太夫。
立派な受け答えに幕府高官も驚きます。
そして、この時、書記をしていたのが
以前に書いた桂川甫周なのですね。
https://www.nicotto.jp/blog/detail?user_id=979903&aid=65323617
これを切っ掛けに蘭学者たちと交流を結び、
海外の事情を国内に広めて行くのでした。
井上靖の「おろしや国酔夢譚」なんかもあるので
興味のある方はどーぞ。
歴史は面白いのですよ。
わぁー私興味津々。。。
すらすら二回も読みました(*`・ω・)ゞシャキィィィィン
エレちゃまありがとです✧✧✧