Nicotto Town


エレウシス


月光露針路日本

三谷幸喜の歌舞伎。
昨年正月の「風雲児たち」シリーズを今回は歌舞伎で。

観たい。
とっても観たい。
・・・行けないだろうけど。
テレビ中継してくんないかなー。

で、主人公の大黒屋光太夫の話をかいつまんで。


大黒屋光太夫は江戸時代、商家の次男に生まれ、
別の商家に養子に行き、廻船業者の仕事を順調に発展させます。

ところが、ある日、静岡沖で嵐に遭い漂流。
この漂流はなんと7か月に及びました。
たどり着いたのはアリューシャン列島(アラスカ)。

暖かい静岡から極寒のアラスカまでの漂流。
そして16人いた船員は。。。。。

1人を除いて無事でした。
これだけでも、恐ろしい程の指導力が垣間見えます。

漂流先では原住民の他、毛皮を獲りに来たロシア人に遭います。
言葉も通じないロシア人ですが、
身振り手振りで会話を少しづつ覚えます。

すると、間もなく迎えの船が来るので、
それでロシアまでなら連れて行ってくれる
とのことでした。

光太夫たちは、ロシア船を待ちます。
そして、ついに船がやってきた日。
光太夫たちの目の前には。

。。。難破した船がありました。

自分たちを救ってくれるはずのロシア人も
同じ漂流者になってしまったのです。

途方に暮れるロシア人たち。

しかし、光太夫は、日本人の部下を動かし
難破船を解体して、新しい船を作ろうとします。
これを見てロシア人も発奮。

光太夫をリーダーに、3年かけ船を完成させ、
カムチャッカにたどり着きます。

そこから、ロシアの首都サンクトペテルブルク(バルト海沿岸)
に向けてシベリア大横断が始まります。

旅の間では、スエズ運河を作ったレセップスの叔父や
大博物学者キリル=ラクスマン、等著名人との交流を行います。
しかも途中のイルクーツクでは、なんと日本語学校がありました。

不凍港を求めるロシアは日本を開国させ、交流するため
1705年から光太夫のような漂流者を教師に
日本語学校を開設していたのでした。
仲間の一人は教師としてロシアに残ることにもなります。

そして、シベリアを横断した光太夫は
エカテリーナ2世に謁見。
日本へ送り届けてもらう約束を取り付けたのでした。

そして、またシベリアを逆に横断して行きます。(笑)

ただし、ロシアに残ることを決断したものもおり、
日本に向かったのは3名のみでした。

北海道で一人が力つき、
江戸までたどり着いたのは結局、光太夫他1名のみ。

鎖国時代にシベリア大陸を往復した光太夫に対し、
時の幕府は長時間の取り調べを行いますが、
ロシア皇帝にすら謁見した光太夫。
立派な受け答えに幕府高官も驚きます。

そして、この時、書記をしていたのが
以前に書いた桂川甫周なのですね。
https://www.nicotto.jp/blog/detail?user_id=979903&aid=65323617

これを切っ掛けに蘭学者たちと交流を結び、
海外の事情を国内に広めて行くのでした。

井上靖の「おろしや国酔夢譚」なんかもあるので
興味のある方はどーぞ。

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2019/06/03 21:58
☆らなん さん
 歴史は面白いのですよ。
アバター
2019/05/31 19:11
OMG!
わぁー私興味津々。。。
すらすら二回も読みました(*`・ω・)ゞシャキィィィィン
エレちゃまありがとです✧✧✧




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